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並走。

Koenji land bridge

心の中にはいくつかの原風景があって、視覚として残っていなくても嗅覚や聴覚だけだとしても、あるいは具体的ではなくても抽象的だとしても。意図して浮かべられなくても、何かのきっかけで自分の中で浮かび上がってきたりもして。そしてそれは人そのもののことだってある。
大抵のものは過去に閉じ込められていて、良い意味でも悪い意味でも冷凍されたそれを記憶として取り出すことしかできない。だけどもごくわずか、ほんのわずか、原風景が地続きのまま僕の歩みと並走してくれることもある。そのままの状態ではなく、少しずつ、いや時にはガラリと形を変えてしまっても、僕の方だって時間の経過によって変化するのだから大きな問題ではない。消えてしまわないだけで奇跡的だと言っていい。
圧倒的な存在感で君臨する原風景であり、ずっと続いてきた当たり前の中に潜むとてつもない奇跡は、これから先も僕と並んで歩いてくれるのだろうか。

インターネットの片隅から、ちっぽけな願いを飛ばしてみる。

Where Do I Begin

cafe arie

シンプルに生きるには努力しなくちゃいけない。
そのことをひしひしと感じている。

 

代官山から恵比寿に向かう駒沢通りが好きだ。何があるわけでもなく、やたらに幅の広い道路で車が行き交い、その割に歩いてる人は少ない。通り沿いにある、タバコの煙が蔓延している昔ながらの喫茶店には随分行っていない。愛想をふりまかないあの感じは好きなのに。

 

12月になってからはやたらとお酒を飲む機会が多い。仕事関係がほとんどだけど、それほど嫌な気分になることはない。昔は付き合い的な酒が決定的に苦手だった。時間の無駄としか思えなかった。今は無駄に潜り込むことで、後々救われることもあるって思えるから、それなりに楽しくやっている。(あくまで“それなりに”というのがポイントだ。)
とはいえ必要最低限に留めていて、自分が無理しない程度でやりくりしている。無駄はよくても無理はよくない。

 

この先新たな出会いはあるだろう。でもその出会った人の奥底にあるやらかい部分に触れることはできないかもしれない。いやこれまで出会ってきた人達のそういう部分にもほとんど触れることなんてできてない可能性すらある。
それでも僕がどこかで見せている顔は(それがたとえ取り繕っているとしても)やらかい場所に繋がっているし、表出している多面性そのものが僕の中心に腰を据えているような気もする。全てと対面できる人はいないし、自分自身だって同時に感じることはできない。しかもそれぞれの顔は少しずつリニューアルしていくのだから、総体を捉えるなんて難しい(では済まない)。

全て知りたいなんて思わなくなったその時が大人になった瞬間と定義できる。なんてことを考えながら夜が更けていく。

foot by foot.

Mt. Kinpu

少し前、イヤホンのイヤーピースの片方を失くしただけなのに思った以上に動揺した。ランニング用にと思って買ったbluetoothのものだったが、とても便利で通勤にも使っていた。日常に溶け込んだ何気ない行為を制限されるだけで落ち着かない気分になる。(特にランニングの際、音楽を聴けないことを考えると滅入った。)

そんなに高いものでもないとは言え、まだまだ使えるものを買い直す気分にもならず、数日が経過した後、イヤーチップのみ手に入れる方法はないか、メーカーにメールで問い合わせてみた。程なく返信が来た。
「イヤーチップのみの取り扱いはないので、100均で買うのがいいと思うよ」
ここまで適当な感じではないが、内容をコンパクトにまとめるとこうなる。僕はむかつくどころか、100均で代替品が売っているものなのかと感心してしまった。すぐに買いにいって、イヤホンに取り付ける。耳に装着してみると正規品よりもフィット感が向上して驚いた。(走っているときにずれることもほとんどなくなった。)

 

振り返ると、そこまで落ち込む内容でもないし、解決法も大したことではない。わざわざここに書くほどのことかという気もする。
でもなんだかこの出来事によって、自分の感情の動きに対して冷静になれたような客観的になれたような感覚がある。小さなことでも揺れ動くって話だけではなく、逆に大きなことでも必要以上に捕われる必要はないのではないか。その実感を得てからいくらか(いや随分と言ってもいいかもしれない)気分が楽だ。

悩みは尽きない。尽きないからこそ、起こっている事象と自分自身の距離をある程度引き離す。失敗や人間関係そのものが僕を痛めつけるのではない。失敗に対する後悔やもつれた人間関係に対する不安が僕を痛めつける。同じようで全然違う。

仕事は個人でどうにも解決できないことも多い。だからこそ一定時間深く考えてもどうにもならないと思えば、(少なくとも自分よりは)解決できる可能性がある人に預けて、自分がそのときやるべき作業や調整で良いパフォーマンスを発揮するしかない。抱えて切り離してをうまくできないとどんどん息苦しくなるだけだ。

 

先日33歳になり、業務量も確実に増えてきたので、この1年の目標は今まで書いてきたことをまとめて「事象と感情の適切な距離感を保つ」といったところだろうか。

そろそろもっと楽しげなことも書きたいけれど、それはまた今度。

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