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敢えて。

日本赤十字社の熊本地震災害義援金に1万円寄付した。(正確には、申込をしたので本日中に振込されるはず。)
東日本大震災以降、国内外の災害関連にはなるべく寄付するようにしている。言葉や行動で直接的に励ましたり有効な情報を伝えたりできないので、せめて困ってる人に必要なものが届けばいいなと思って。対応の遅れを批判するようなことよりも、プラス側に働きかける行動の方が自分の心持ちとしても健やかでいられるし。
そのうち「寄付なんかしてる余裕ないわ」って状況になるかもしれないけど、少なくとも今はできるのでする。それだけ。それと、仕事がけっこう大変なこと以外(仕事の忙しさが自分の生活に与える影響は大きいが)、気ままに暮らしていられるのは自分だけの力じゃなくて、元々立っている基盤自体が安定しているからこそみたいなことも感じていて。まあだから恩返し的な気持ちもある。社会に対しての。

こういうところに書かない方がスマートだけど、書いておくことで未来の自分に「あのとき寄付していたし、今回もやろう」と思わせたい。そして、この文章を読んでくれている大半の人が「うぜー」と感じたとしても、一人くらいは「寄付するか」って思ってくれる可能性もあるし。

寄付に限った話じゃなく、気高い持論を展開するだけで実態がよくわからないくらいなら、想いや動機はどうあれ具体性を持った行動を心がけたい。と、常々考えている。

ちょうどいい塩梅で構えたい。

個人的な悲しい出来事に続いて、社会的にも悲しい出来事も起こったりして。目に見えるものが壊れてなくても、ニュートラルだと思っていた日常を成立させることは案外難しい。表面的には普通だし、別に無理して普通を演じているわけでもない。それでも瞬間的に、あるいはじわじわと、心が暗いところに潜り込んでいってしまう。元気なはずなのに、と思っても奮い立たない。
ゆっくりでも着実に健全な意志を構築しないと。

今日は夕方まで家でだらだら過ごした。昼にとった出前の天せいろがおいしかった。17時過ぎから10kmラン。気温が高いし風が強いしで苦戦したが、膝の状態は上り調子で嬉しい。走ってるときは溶け込んでいる状態から「自分」を引っ張り出して、個体としてダイレクトに直結できる感覚になる。歯車を分解してメンテナンス、そしてまた元に戻す。
シャワーを浴びて新宿へ。METAFIVEのCDを買い、NEWoMANやバスタ新宿を偵察。商業施設は形状ではなくインテリアで勝負するのが正しい判断なのかもしれない。(少なくとも日本では。)そのうち昼間にもう少し時間をかけて見てみたい気もする。
LAから出店したサードウェーブ的なコーヒーを飲む。浅煎りが苦手だということに尽きる。ファッション的な意味ではなく、味わいとして日本でどれだけニーズがあるのかは気になる。一定数好きな人がいるのはわかるが、長期間に渡って生き残っていくものなのかどうか。

妻は外食が続くと罪悪感が生じるようだ。でも家事で一番アウトソーシングしやすいのは食事だと思うので、疲れていたり面倒なときは外食でも全く問題ないと僕は思っている。そもそも共働きなのだから、妻の役割でも何でもない。それでも労働環境の違いから、洗濯とか掃除はどうしても妻頼りになることが多いのは事実なので、その上食事まで求めてしまうと負担が大きすぎる。
妻の料理が好きなので、作ってもらえるのはとても嬉しいのだけど、作ってくれるのが当たり前なんて感覚は持ちたくないし、感謝の気持ちは忘れちゃいけない。

halt

fresh snow cover

過ぎていく時間に自分が遅れてしまわないように、必死でパドリングしている。空気に溶けるような言葉さえも思考から消え去り、音声はただの音として自分の中に入り込んで来る。薄い膜が体中を覆って、音信不通を演出する。コミュニケーションは地底でじっと動かないで丸まっているから、しばらく出てこないだろう。君にアクセスするチャンネルが見つからない。

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