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される側。

Nakano, Tokyo
Asagaya, Tokyo

自分自身を横(安全な位置)に置いた言動があまりに多いことに、違和感を感じている。そして同時に、「お前が言えることか?」みたいなツッコミもしにくくなってる。発言と人格が切り離されて、発言の中身だけを見なくちゃいけないような。そりゃ完璧に結びつける必要はないけども、極端にそっちに傾いていやしないかと。

きっと、説得力の問題。最近、僕が仕事関連の分野になるべく言及しないようにしてるのも、これが理由だ。つまり、語れるほどの仕事ができていない。(今は一時的に裏方的な部署に異動しているという要因が大きいけど。)

仕事だけに限らないが、できるだけ評価する側じゃなくて評価される側にいたい。否定的な意見だってあるだろうし、そもそも評価するに値しない(無視される)ことさえあるかもしれない。それでも、高みから「どれどれ」みたいな人間にはなりたくない。
写真にしたってコーヒーにしたって拙いのは重々承知しつつも、なるべくそういうスタンスでやっていければいいなと考えている。

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インスタでそこそこ反応があったコーヒーマップについては、妻の意見を聞いたりして内容を詰めていますので、少々お待ちください。
今のところ、PDFとかじゃ味気ないので、紙でお送りできたらいいなとか考えたりしてます。はい。

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勉強時間を徐々に増やしているので、諸々の余裕がなくなりつつある。

追い腰。

Nakano, Tokyo

失敗してもいい、なんてことはない。でも失敗に怯えすぎる方がもっとよくない。

一歩踏み出せるかどうかが最も大切で、何が起こるかなんて予想通りいくこともあればいかないこともある。どうにもならないことだって時にはある。それでも踏み出していくしかない。ただただ立ちすくんでいて、いつの間にか解決するなんて淡い期待は大体裏切られる。真剣に向かっていく方が圧倒的に勝率が高い。

逃げ腰からの脱却。

誓いを運ぶ。

Nakano, TokyoNakano, TokyoNakano, TokyoNakano, Tokyo

寒空の中、少し遠くまで歩いて初詣に向かう。自宅周辺と代わり映えのしない密集した住宅や狭い道路。静寂さだけがいつもと違った。

それにしても、まだ20日しか経っていないのに、既に元日との繋がりがひどく曖昧になりつつある。
いや、空腹に耐えられず、帰り道で食べたコンビニの肉まんの味ははっきりと覚えている。

やるせないことも多い毎日だけが、あの時の誓いを運ぶ唯一の手段だ。

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