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残されたもの。

Antique OMEGA

少し前に時計を買った。

一次試験が終わり、自己採点で良い結果だとわかったので、散財的な意味で数万円くらいの時計でも買おうかと思ったのがきっかけ。本当は一次なんかじゃなくて、きちんと合格してから、一生ものとなる数十万円の時計を買おうかなんてことも考えていたのだけど、会社用の時計も壊れてしまっていたし、繋ぎ程度にという感じで。

で、狙いを定めて見にいくものの、実物にさほど敷かれなかったりもして、あぁ当面は買わなくていいかななんて思っているところで、アンティークのオメガに出会った。予算をオーバーしていたため少し迷う。それでも、これだと思う出会いだったので即購入。

求めていた条件を書き出してみる。
・シンプルで文字盤に余計な針が付いていないもの(時計なんだから時刻がわかればいいし、さりげなくていい。さりげない方がいい。)
・文字盤が大きすぎず軽いもの(最近の文字盤はでかくて重いものが多く、なかなかそういうものを日常的に使うのは厳しいなぁと。)

 

ここまでは前置きというか、単なる購入記録にすぎなくて、狙っていたわけでもないオメガの時計を買ったことに因果を感じている。
僕が乳児の頃に亡くなった父の形見(というより残っていたもの)が少しだけあって、何かの機会に兄と分けることになった。で、そのとき僕はビートルズをはじめとしたレコード一式をもらった一方で、兄はオメガの時計を譲り受けていたのだった。
レコードを選んで失敗したなんてことは思っていないのだけど、なんとなく時計の方が形見として正統な感じもしていて、羨ましいような後ろ髪を惹かれるような感覚がほんの少しあったのも事実だ。

父が亡くなった年齢に近づいてきた(何歳に死んだか正確な数字はわからない)自分の選んだ時計が、父も使っていたオメガ。こじつけだとしても、単にちょっと高い時計を買った意味以上に、大切にしようというモチベーションになった気がする。

もし自分が父になったら、いつの日かこの時計を息子か娘かわからないその子に譲ることができたらいいなと思う。(2人の場合は、時計とレコードを分ければいいや。)

甘ったれ。

Nike

とある機会に、自分の思考と生い立ちの関連性を考えさせられた。

常々、何かあっても生きていける力を身につけたいと思っている。それは端的に言うと、今いる会社を辞めることになっても困らない状況を作り出したいという意味だ。
特に最近は、少なくとも以前より時間的に余裕のある暮らしの中で、そこまで意識的ではないにしろ、この時期を戦略的に過ごす術が重要だと感じていた。不調から余儀なく陥ってしまった状況をいかにチャンスに変えるか、ということ。だからこそ、それまであまり見向きをしてこなかった資格を取ろうという行動に出たんだと思う。それが本当に生きていける力になるか別として。
戦略的に生きるってことは意外と重要な気がしている。仕事を単なる金稼ぎとと捉えるには、ちょっと人生が長すぎる。安定を目指すにしても、攻めていかないと達成できない難しい時代に突入している感覚がものすごくある。

会話相手に対し、そういったことをもっと簡潔に話した後に、「その考え方に行き着いたのは、生い立ちと結びついているんじゃない?」という質問をされた。
「これからどうしよう」とは考えても、「どうしてこうなった」とはなかなか考えないものだから、なんだかとても新鮮な感じがしつつ振り返ってみた。

家族構成やら(中学生までの地元という枠では)勉強も運動もできたことに起因した、甘ったれた自分を自覚したのは高校生活の最後の方あるいは浪人時代からだろうか。浪人時代も勉強の合間にゲーセンに通っていたりして、そこまで逼迫した状況ではなかった。で、その10代後半のあるときに、「あぁ、半ば強制的な状況に自分を置かないと、俺はどこまでも楽な方に流れていってしまう」ってなことを実感した。何がきっかけまでかは記憶にない。

だから、大学に入ってからしばらくは勉強なんてろくにせず、自立するための力を少しでも付けることばかり考えていたように思う。実家から通えるのに一人暮らしをし、家庭教師で楽に稼げるのにとてつもなく厳しい居酒屋でバイトをし、「生きるのって、めちゃくちゃ大変だ」とこれでもかと思い知らされた。で、専門課程に入ってからは徹夜で課題に取り組み、大学院は一番きついと言われていた研究室に入り、ようやく社会に出て働く準備ができた。どうにか怠惰な自分を追いやることに成功した。

「これまで話してきた通り、自分が自分に甘い人間だと自覚しているから、どうにかしないといけないと思いました。そのことはずっと自分の中で大きな割合を占めてきたように感じています」最後にそう言って、次の話題に移っていった。

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現在に至っても、まだまだ力不足。どうにかしないとなぁなんて思いつつも、技術や能力を発揮する以前に、どうにもならないレベルでタフさが足りていない。これはもう改善しようのない問題ではないかという考えに辿り着きつつある。だから資格は逃げの一手でもある。立ち向かっても逃げても武器になるものだから。

これまでのことを妻に話すと、「今までずっと一緒にいて、とてもそんな甘い人間のようには思えない」なんてリアクションがあった。友人なんかに聞いても同じような反応かもしれないけど、まあでも自分でわかっているから、このことに関しては他者評価よりも自己評価を重視している。

さあ明日からも頑張ろう。

Let there be love.

a get-together
a get-together
a get-together
a get-together
a get-together
a get-together

僕は適切な言葉を持っていない。
「また会いましょう」と心でつぶやき、「また」と声をかけた。絞り出てきたのは、それだけだった。
そして、また会いにいった。
相変わらず上手い言葉は出ない。
「温かい」と繰り返す彼の言葉が印象的だった。

Let there be love.

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