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視点場。

Kumagaya, Saitama

ちょっとうまくいかないと、すぐイライラしてしまう。おそらくうまくいかないことを深刻に捉えすぎているせいだ。原因究明はできても、改善には少し時間がかかりそう。

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グルスキー展を観に行った。
視点を変えるってのはありきたりな手法なのかもしれないが、被写体と写し方の関係がとても面白く、ハッとする瞬間も何度かあった。
そもそも見方があまりわからないということもあり、あまり写真展に行く方ではないのだけど、写真の持つ可能性の広がりのようなものを感じられて、観に行ってよかった。なんだか元気が出た。

自分の今置かれている状況を考えると、物事の捉え方を変えてみる、あるいは色々な方向から見てみるっていうのはとても大切だと思う。最初に書いたことの改善にも繋がるような気がしている。

新国立美術館で8/7から開催予定のアメリカン・ポップ・アート展にも行く予定。
無理はせず、かといって斜に構えず、面白そうなものにはなるべくアクセスするようにしたい。

アンドレアス・グルスキー展

ドイツの現代写真を代表する写真家、アンドレアス・グルスキー(1955年–)による日本初の個展を開催します。 ドイツ写真の伝統から出発したグルスキーは、デジタル化が進んだ現代社会に相応しい、すべてが等価に広がる独特の視覚世界を構築し、国際的な注目を集めてきました。

本展覧会には、1980年代の初期作品に始まり、《99セント》(1999年)、《ライン川II》(1999年)、《F1ピットストップIV》(2007年)、《ピョンヤンI》(2007年)、日本に関連した《東京証券取引所》(1990年)や《カミオカンデ》(2007年)といった代表作から、最新作《カタール》(2012)にいたるまで、グルスキー自身が厳選した約65点の作品が一堂に会します。衛星からの画像を基にした「オーシャン」シリーズ(2010年)や、川面を写す「バンコク」シリーズ(2011年)など、その作品は近年ますますコンセプチュアルな様相を強めています。同時に、まるで抽象絵画のような写真は、写真を使った画家とも言えるグルスキーが開拓した新たな境地を伝えています。

展示会場は、初期から今日までを回顧する年代順ではなく、独自の方法にしたがって構成されます。 初期作品と新作、そして、大小さまざまな写真を並置する斬新な展示は、個々の写真を際立たせるとともに、展示室全体を一つの完璧な作品のようにも見せることでしょう。この比類のない展示により、グルスキーの写真世界の魅力を余すところなくご紹介します。

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欲求について書こうと思ったけど、今日は止めておく。

受容することで広がる。広げる。

Yoyogi, Tokyo
Yoyogi, Tokyo
Veranda

世間体みたいな外からの見え方と、自分の内なる感情の充実度は、どこまでリンクしているのだろうか。もしくはリンクしていないのだろうか。

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人に何かを勧められた際、素直に受け入れたくないときがたまにある。もちろん、単純にその何かが魅力的に感じられないような勧められ方をされたりということもあるのだろうけど、誰に勧められたかってことも大きい要因になっている。
それが嫌いな人(気に食わない人と置き換えてもいい)からの場合。これはまあ当たり前。
それが近しい人からの場合。これが意外と多い気がする。別にその人が嫌いなわけでもないのに、「なんか素直に従いたくないんだよなぁ」って思ってしまうような。

例えば、僕なら妻がその一人だ。逆に僕から妻にオススメしても簡単に受け入れてくれないことがよくある。お互い変なプライドが邪魔しているのは間違いない。よくわからないライバル意識というかなんというか。

で、そういうことを極力なくしていきたいと考えている。「誰から」の視点を消し去ることはできないだろうけど、なるべく、オススメされた対象を好きになれるかどうかだけを判断の基準にしたい。

広げていきたい。

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病気のことは触れたくなったら触れるし、そうでなければ特に書かない。
自分が考えていたより少しだけ深刻かもしれないことだけ記しておく。(そう思い込んでるだけという可能性は拭い去れないけど。)

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夏がやってきてしまった。圧倒的な夏が。

凌駕する。

Tatebayashi, Gunma
Tatebayashi, Gunma
Tatebayashi, Gunma
Tatebayashi, Gunma
Tatebayashi, Gunma
Tatebayashi, Gunma
Tatebayashi, Gunma

お昼と夕方の間。心地よい風が吹く中、木陰で眠りに落ちた。幸せとしか言えない感覚だけが未だに残っている。
記憶よりも、感覚が。

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