*

*

*

After the rain comes a rainbow.

Ogikubo, Tokyo

“After the rain comes a rainbow.”は『悪いことの後には必ずいいことがある』とも訳されるらしい。
待ちわびている。逃さぬように耳を澄ませて。

セブンイレブンのミルクバニラを食べながら。ceroのターミナルを聴きながら。

言葉の自由と不自由。

Waseda Street

簡単に言葉にできる単純さよりも、うまく言葉にならない曖昧で複雑な境地に辿り着いたときに、人や物事の理解が始まるのかもしれない。曲がりくねって行き着く『なんとなく』は意外と尊いんだと思う。(さらにその先に、その曖昧で複雑なことを言葉にできるレベルがあるとは思うけど、到達できるとしてもきっと相当先だ。)

自分からしてみると興味深い生き方をしている人でも、話を聞いてみると出発点はネガティブなところから始まっていたりもする。でも今が煌めいているなら、きちんと糧にできている証明だ。
不安や悩みが真っ新に取り除かれることなんてない。だから、不安や悩みに取り込まれないで、葛藤を引きずりながらも歩いているなら、それだけで美しい。

話すと色々わかるし、その分わからないことも増える。
なんかそういうのって、面白く生きる醍醐味であるというような考えに辿り着いた、日曜の夜。(もう月曜だ。)

春の絶品。

Higashinakano, Tokyo
Higashinakano, Tokyo
Higashinakano, Tokyo
Higashinakano, Tokyo
Higashinakano, Tokyo
Higashinakano, Tokyo
Higashinakano, Tokyo
Higashinakano, Tokyo

桜が日本人にとってなぜこんなにも大切なものに位置づけられているのか、東京に来て初めて理解できた気がする。
例えば、国語の授業の和歌に出てきたりしても、正直何の実感もなく流れていった。「なぜ桜なのか」という疑問も思い浮かばないくらい、そりゃもう自然に。

頻繁に東京と北海道を行き来してると、共通性よりも相違性を感じることが多い。

< 25 26 27 28 29 >