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言葉の自由と不自由。

Waseda Street

簡単に言葉にできる単純さよりも、うまく言葉にならない曖昧で複雑な境地に辿り着いたときに、人や物事の理解が始まるのかもしれない。曲がりくねって行き着く『なんとなく』は意外と尊いんだと思う。(さらにその先に、その曖昧で複雑なことを言葉にできるレベルがあるとは思うけど、到達できるとしてもきっと相当先だ。)

自分からしてみると興味深い生き方をしている人でも、話を聞いてみると出発点はネガティブなところから始まっていたりもする。でも今が煌めいているなら、きちんと糧にできている証明だ。
不安や悩みが真っ新に取り除かれることなんてない。だから、不安や悩みに取り込まれないで、葛藤を引きずりながらも歩いているなら、それだけで美しい。

話すと色々わかるし、その分わからないことも増える。
なんかそういうのって、面白く生きる醍醐味であるというような考えに辿り着いた、日曜の夜。(もう月曜だ。)

春の絶品。

Higashinakano, Tokyo
Higashinakano, Tokyo
Higashinakano, Tokyo
Higashinakano, Tokyo
Higashinakano, Tokyo
Higashinakano, Tokyo
Higashinakano, Tokyo
Higashinakano, Tokyo

桜が日本人にとってなぜこんなにも大切なものに位置づけられているのか、東京に来て初めて理解できた気がする。
例えば、国語の授業の和歌に出てきたりしても、正直何の実感もなく流れていった。「なぜ桜なのか」という疑問も思い浮かばないくらい、そりゃもう自然に。

頻繁に東京と北海道を行き来してると、共通性よりも相違性を感じることが多い。

道中。

Haneda, Tokyo
Haneda, Tokyo

気にしない奴が生き残るし、楽しめる奴が強い。

電子メールが届く。クリックすればディスプレイに文字が並ぶ。少し遅れて脳が意味を理解する。予感が確信に変わり、さっきまでの気分が消えて、何とも言いようのないズシリとした重みを抱える。
現代は絶えず感情にアクセスしてくるから、浮き沈みのサイクルがとてつもなく早い。その変動に耐えられず、心の病を患う人も多いのかもしれない。

深く考えるな、でも真剣に考えろ。

先週の休日、何をしたか考えてみる。土曜日は故郷の公園を一人でぶらぶら歩いた。観測史上何番目かに遅く開花した桜を見た。花見をする人、デートをする人、池でボートに乗る人。ぐるっと回って、水辺近くに腰を下ろし、贅沢な読書タイムをとったりもした。
日曜日は妻とふらっとお出かけ。新宿に初めてビジネスシャツをオーダーしに行った後、古道具屋でポストカードなんかの紙物の収納を思わず購入してしまう。荷物を抱えて参宮橋まで歩き、コーヒースタンドにてケメックスで淹れた珈琲をすする。焙煎の度合いや豆の仕入れ時期なんかを聞いたりなんかもして。電車で家の最寄り駅まで戻り、スーパーで買い物をして帰宅。夜は好物の餃子。午前中にしたランニングの疲れのせいか、ビールにすぐ酔ってしまい、いつもより食べられなかった。

そうやって心を真ん中に置いて綴れる日があるうちは、大丈夫。

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