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ちょうどいい塩梅で構えたい。

個人的な悲しい出来事に続いて、社会的にも悲しい出来事も起こったりして。目に見えるものが壊れてなくても、ニュートラルだと思っていた日常を成立させることは案外難しい。表面的には普通だし、別に無理して普通を演じているわけでもない。それでも瞬間的に、あるいはじわじわと、心が暗いところに潜り込んでいってしまう。元気なはずなのに、と思っても奮い立たない。
ゆっくりでも着実に健全な意志を構築しないと。

今日は夕方まで家でだらだら過ごした。昼にとった出前の天せいろがおいしかった。17時過ぎから10kmラン。気温が高いし風が強いしで苦戦したが、膝の状態は上り調子で嬉しい。走ってるときは溶け込んでいる状態から「自分」を引っ張り出して、個体としてダイレクトに直結できる感覚になる。歯車を分解してメンテナンス、そしてまた元に戻す。
シャワーを浴びて新宿へ。METAFIVEのCDを買い、NEWoMANやバスタ新宿を偵察。商業施設は形状ではなくインテリアで勝負するのが正しい判断なのかもしれない。(少なくとも日本では。)そのうち昼間にもう少し時間をかけて見てみたい気もする。
LAから出店したサードウェーブ的なコーヒーを飲む。浅煎りが苦手だということに尽きる。ファッション的な意味ではなく、味わいとして日本でどれだけニーズがあるのかは気になる。一定数好きな人がいるのはわかるが、長期間に渡って生き残っていくものなのかどうか。

妻は外食が続くと罪悪感が生じるようだ。でも家事で一番アウトソーシングしやすいのは食事だと思うので、疲れていたり面倒なときは外食でも全く問題ないと僕は思っている。そもそも共働きなのだから、妻の役割でも何でもない。それでも労働環境の違いから、洗濯とか掃除はどうしても妻頼りになることが多いのは事実なので、その上食事まで求めてしまうと負担が大きすぎる。
妻の料理が好きなので、作ってもらえるのはとても嬉しいのだけど、作ってくれるのが当たり前なんて感覚は持ちたくないし、感謝の気持ちは忘れちゃいけない。

halt

fresh snow cover

過ぎていく時間に自分が遅れてしまわないように、必死でパドリングしている。空気に溶けるような言葉さえも思考から消え去り、音声はただの音として自分の中に入り込んで来る。薄い膜が体中を覆って、音信不通を演出する。コミュニケーションは地底でじっと動かないで丸まっているから、しばらく出てこないだろう。君にアクセスするチャンネルが見つからない。

こんなはずじゃなかったのに。

hover over

時間の経過とそれに対する感覚のズレが大きくなってきている。週のうち1日半が出張で潰れると、あっという間に一週間が終わる。どんどん不純物が取り除かれ、対峙している物事だけが僕を覆う。不純物と表現しても本当は必要なものかもしれない。その判断すらできない(あるいはしない)。
向き合うことはある意味で可能性を絞り込んでしまう。それでも多くの可能性を残したままでは到達できない場所もある。脳が最短ルートを割り出し、体はシステマティックに動く。機械だ。意志の介在する機械。悪くはない。人間らしい生活への執着は、損なうものはないが手の届かないものは出てくる。結局何もかもトレードオフなんだ。得ると同時に失い、失うと同時に得る。

誰よりも高いところに向かいたい欲求はあまりないが、視界不良のもっと深い地点へは行ってみたい気がする。高みは地位で深さは思考かもしれない。

 

ハーフマラソンを走った。痛めている膝が回復していなかったので、結果は散々だった。折り返し地点からはまともに走れる状態ではなく、どんどん抜かれていった。(が、痛みでそれどころじゃなく、実際に抜かれた数ほどの実感はない)
完走できればいいやと考えていたとはいえ、けっこう悔しい。こんなはずじゃないのにと、走りながらずっと思っていた。原因はどうあれ、今の自分がこの程度であることを受け入れるしかない。受け入れて次に向かうしかない。

生きていくことは、こんなはずじゃなかったのにってことばかりだ。それでも、「こんなはずじゃなかったのに」とうじうじするか、「こんなはずじゃなかったのにとか考えても仕方ないし、ここからまた」と動き出すかは選択できる。

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