ちょうどいい塩梅で構えたい。
Category:Memento |
2016/04/18
個人的な悲しい出来事に続いて、社会的にも悲しい出来事も起こったりして。目に見えるものが壊れてなくても、ニュートラルだと思っていた日常を成立させることは案外難しい。表面的には普通だし、別に無理して普通を演じているわけでもない。それでも瞬間的に、あるいはじわじわと、心が暗いところに潜り込んでいってしまう。元気なはずなのに、と思っても奮い立たない。
ゆっくりでも着実に健全な意志を構築しないと。
今日は夕方まで家でだらだら過ごした。昼にとった出前の天せいろがおいしかった。17時過ぎから10kmラン。気温が高いし風が強いしで苦戦したが、膝の状態は上り調子で嬉しい。走ってるときは溶け込んでいる状態から「自分」を引っ張り出して、個体としてダイレクトに直結できる感覚になる。歯車を分解してメンテナンス、そしてまた元に戻す。
シャワーを浴びて新宿へ。METAFIVEのCDを買い、NEWoMANやバスタ新宿を偵察。商業施設は形状ではなくインテリアで勝負するのが正しい判断なのかもしれない。(少なくとも日本では。)そのうち昼間にもう少し時間をかけて見てみたい気もする。
LAから出店したサードウェーブ的なコーヒーを飲む。浅煎りが苦手だということに尽きる。ファッション的な意味ではなく、味わいとして日本でどれだけニーズがあるのかは気になる。一定数好きな人がいるのはわかるが、長期間に渡って生き残っていくものなのかどうか。
妻は外食が続くと罪悪感が生じるようだ。でも家事で一番アウトソーシングしやすいのは食事だと思うので、疲れていたり面倒なときは外食でも全く問題ないと僕は思っている。そもそも共働きなのだから、妻の役割でも何でもない。それでも労働環境の違いから、洗濯とか掃除はどうしても妻頼りになることが多いのは事実なので、その上食事まで求めてしまうと負担が大きすぎる。
妻の料理が好きなので、作ってもらえるのはとても嬉しいのだけど、作ってくれるのが当たり前なんて感覚は持ちたくないし、感謝の気持ちは忘れちゃいけない。