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晴天の歳晩、

Nakano, Tokyo

鴨を見る君に、洗い流される。

位置についての態勢をとるために。

何か書きたいけれど、どうも現実の事柄を書く気にもなれない。そのため、さっきまでフィクションを書きなぐっていた。どこにも辿り着かないような文章を。案の定、下書き保存して塩漬け。近頃そういう類いのWebにも出ていかない文章が増えている。
昔から小説のようなフィクションを書きたい気持ちはある。が、きっと今はそういうモチベーションで手を出しているわけではない。骨格も何もない状態でいきなり書き始めてしまうのだから、行き当たりばったりにも程がある。
おそらく現実と向き合いたくないのだろう。ちゃんとしていないからだ。姿勢の問題として。「いや、みんなそんなもんだよ」と誰かに言われたとして、自分が全く納得できるレベルにいないのだから、やっぱり今のままじゃよくない。そう、少し前まで、僕には相応の上昇志向があり、上昇するため相応にがむしゃらだった。(高い地位を目指す意味ではなく、世の中に「これどうでしょうか?」と成果を示したかった。)今では生成りの暮らしみたいな言葉を都合よく捉えて、ただ漂流しているだけなのに、なんとなく生きていければいいかみたいに考えている。
もう止めよう。挑戦の日々をもう一度。「なに必死になってるの?笑」なんて思われてもいい。やりたいこと以外なら、知らないことがたくさんあってもいい。仕事を主軸に据えて(趣味は趣味として)、余計な言論に囚われず、突き進みたい。

と、長々書いてきたけど、外的要因・内的要因含めて、いきなりがらりとはならない。それでも、そのための準備はできる。色々強化しなくては、挑戦できる状況すら作れない。
今一番の課題は、図太さ、切り替えの早さ、そういった類いのもの。精神を強靭化したい。繊細さを武器にする年齢ではないから。敏感でいるのは重要だけど、それが負の内容だと察した時、いちいち打ち拉がれてちゃ立ち行かない。
克服できなければ、きっと舞台には立てない。ヨーイドンの位置につけない。

必要以上に恐れるな。

Tsubetsu, Hokkaido

最近、他者との関係を深めるためには、あまりごちゃごちゃ考えずに踏み出すことが大切だと感じている。いきなりアクセル全開で入り込みすぎちゃうことなんかを除いて、それを嫌な人はあまりいない。むしろ嬉しい人が多い気がする。結局、誰かに必要とされることに喜びって確実にあるんだよ。
悲しいことに、自分は多くの人にとって必要とされる存在にはなれない。でも踏み出すのは自分次第だから、気取らず素直に行動できればいい。関係を築いていくうちに、求められる瞬間もあるかもしれない。(数が多ければいいという話はないのだけど、さすがに近頃は閉じすぎている。)
会いたい人に会いたいと言い、話したい人には話しかければいい。これまで出会って来た人も、これから出会う人も。

インターネットの人も会ってみると面白い。そのまんま人となりが現れるから、Web上に比べ、情報量が相当多くて、やっぱり会ってみないと人ってわからないなって思った。
ただ、出会うことを主眼にSNSやら何やらをやっているわけではない。だからむやみやたらにって感じではなく、何かのとっかかりに乗じてお会いする方が増えればいいなと思っているので、その際はどうぞよろしくお願いします。

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