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思考よりも体感、言葉よりも動作。

Saroma, Hokkaido
Saroma, Hokkaido
Saroma, Hokkaido
Saroma, Hokkaido

2013年2月24日23時、東京の自宅でディスプレイを見ている分には、「まるでコーマック・マッカーシーの『ザ・ロード』の世界みたいだな」なんてことを思ってしまいそうな写真だ。

しかしこの場にいた時には、もちろんそんなことは過りもしない。いたって単純に、「寒い」と認識するだけだ。ちょっと外に出て写真を撮ってくると言ったとき、妻の親族からは「は?」と不可思議な顔で見られた。「必要もないのに、なぜ出ていくのか?」と全く理解ができないというような顔で。

どう足掻いたって身体性から逃れられない場所があった。思考よりも体感が速く、言葉よりも動作が有効な世界。
滞在していた家からはおそらく100m程度しか離れていないのに、これ以上前に進むことはできなかった。前に進む準備が全くできていなかった。
躊躇もなく進行方向を逆転させ、来た時よりも駆け足で、思考を取り戻すことができる空間へ向かった。

極寒の目線。

Saroma, Hokkaido
Saroma, Hokkaido
Saroma, Hokkaido
Saroma, Hokkaido

震え上がる寒さに出会った。同じ北海道でも道東の寒さは次元が違う。
元々人口が少ないにしろ、外には全く人はいない。数分歩くにも恐怖を感じるレベルだ。確実に暮らし方が変わる。うまく立ち回らないと本当の意味で死活問題。
ここにいる人と僕では、多分、生きることの目線が違う。

低温発火。

Sapporo, Hokkaido

たまに電車なんかで次々と言葉が繋がって、どんどん転がっていくことがある。大抵そこで生まれた言葉は底なしの穴に落ちていって、二度と浮かび上がってくることはない。

先日、さすがにもったいないということで、iPhoneのメモを立ち上げ、書き留めてみた。当然、思考と直結した脳の言葉になんて追いつけるはずもなく、見返してみると、ほとんどが意味不明、もしくは大した内容ではないことがわかる。時間が経過し情が失われ、文字だけが独立した状態だから、自分にも響いてこないのかもしれない。

ただ、そんなガラクタの中に、鮮度を保っているものがあった。

実現したい、あるいはここを目指したいということに対する飢え、そこにたどり着いたとき得られる栄養、その両方が不足している。

低温の文章だが必ずしも病んでいるわけではない。綴ることで薬になるのだろうと思う。

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