ハイキングとジム通いを新しく始めた。
山の気持ち良さやトレーニングの達成感など、手段としてだけでなく、そのこと自体に面白く取り組めている。この調子で継続できるのが一番だけど、仕事の忙しさによってはなかなか難しいはずなので、そういうときでもか細く続けていきたい。
目的のための手段としている部分もあって、それはやはり健康維持や体力強化あたり。特にここ数年は長時間のデスクワークや運動不足を要因として、体のあちこちが痛い状態が普通になってしまい、それによって集中力や思考力、そしてメンタル的な部分が弱っているような気がしていた。
元々メンタルはそれほど強くなく、気持ちの切り替えなどでどうにかタフになれないものかと思っていたりもしたが、根本的な改善には至らない。そこから、メンタルが向上しないなら、せめてフィジカルだけでもというところに着地した。体は屈強なのに心は病んでるみたいな人はあまり見かけないし。
始めてからの日が浅いため、結果(効果)はもう少し様子を見た方がいいかもしれない。ただ、少なくともあちこち痛かった体は痛みを感じることがほとんどないし、気分が落ち込む機会も減ったように思う。
もちろん、精神的に弱っている人は運動すれば解決みたいな単純な話ではないけど、やり方の1つとして、まずは体を健康な状態に持っていくみたいな方法もありそう。
一方で、やりたいことが増えてくると、珈琲を筆頭として今までの趣味に割ける時間が減少しているので、そのうちうまくバランスをとれるようになるといいな。
くよくよすることだってある。すぐに切り替えられないことだってある。むしろしばらく気分が落ちたままのことだってある。
でもそんな自分に対して、「こんなんじゃダメだ」なんて自身を責め立てることはしたくない。どうしようもないと放っておけば、そのうち何事もなかったかのような状態になってるはずだし、そのうちなんて待てないときには何を秘めていてもやるしかない。
いずれにしろ、ネガティブな感情とそこに対する自己嫌悪は切り離したい。湧いてくる感情は仕方がないと割り切って進みたい。
働き始めてからは納得できないことがたくさん。納得できなさを抱えたままでも、納得できるものができればいい。
泣きじゃくっていたって全力疾走はできる。走った後、涙はきっと乾いている。
感情や思考を言葉にすることは難しくないが、風景描写のような様を言葉にすることが苦手だ。そういった表現を身につけようとしても、すぐ頭の中に潜っていってしまう。だからビジュアルとして浮かんでくる文章を書ける人が羨ましい。
研究室にいた頃の准教授が出張で上京してきたので、仕事後特に予定もなかったので顔を出した。まあ共通点のある生業なわけだから、自然と仕事回りの話にもなり、自分の考えを語る場面もやってくる。そうすると、こうやって自分一人で文章を綴るのとは違って、本当に自分から出てきた言葉なのかと感じることがよくある。でもたぶんそれは一人でいるときには顔を出さない類いのものであり、相手の言葉に奥底に眠っていた考えが掘り出され、いつの間にか音として空気を振るわせるのだろう。そこで自分も再認識するわけだ。こんなこと自分が考えていたのかと。
だからこうして潜って捻り出した言葉をそこまで信用しなくても大丈夫なのかもしれない。ここに表出しているものは確かに僕の一部ではあるけども、それが自分を苦しめるときがあるなら、そういう文章が書きたかっただけと気楽に割り切ってもいい。
ほらまた何も風景が浮かんでこないものを書いてしまった。
東京の終電近くの電車は悲惨だ。でも自分が酔っているならば、時間感覚は短縮されるからそこまで苦でもない。
四谷でJRから地下鉄に乗り換える。丸ノ内線四谷駅のホームがすごく好きだ。地下鉄なのに地上に出ていて、ホームの奥の方へ進むと屋根も壁も取り払われる。緑豊かだし遠くには高層ビルが見える。夜だから緑は全然感じられないけど、高層ビルには少ないながらも明かりが着いている。思わずiPhoneで写真を撮る。
そうこうしているうちに地下鉄が駅に入ってくる。JRよりは空いているが、他人に体触れてしまうくらいの密度はある。外の空気で少しは酔いがさめたかと思ったのに、乗り込むとまだぐでんぐでんな自分に気づく。
ゆっくり流れていた時間がまたすぐに短縮された。
少しは風景っぽい文章が書けたかな。
読みかけの小説もあるし、妻が仕事を終えるまでに出かける準備をしないといけないので、この辺で。
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