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希望の血、絶望の地。

価値観なんて異なっていることが当たり前なのに、自分の持っている感覚を受け入れてもらえない状況に不満を抱いたりする。この場合、自分の方が歩み寄るべきか、相手側になんとか理解してもらうのか。もちろん100対0の話ではないし、ケースバイケースだし、だから普遍の法則なんてないのかもしれない。でも大人になってから(大凡働くようになってからとイコール)、この種の悩みが尽きないのも事実なんだ。多様性を受け入れるじゃ済まされないところまで来ているような。

きっと学生の頃は、価値観がふにゃふにゃしているところから徐々にまとまっていく過程にあるから、吸収もしやすかったのだろう。それとは別に、利害関係がないから、摩擦が可視化されないってことも大きな要因だと考えられる。

この歳ともなると、経験に裏打ちされた価値観が集まって、どれか1つのやり方・進め方を選ばなきゃならないことがよくある。そしてその選択権は自分にはなく、受け入れるのが難しくたって、受け入れなきゃ二進も三進もいかない。自分を納得させて。納得させたフリして。続くことで、どんどん乖離していって。

合う合わないの話で終わるのならば、合わなかった時は諦めるしかないのか。運否天賦ならば、あまりに人生はリスキーすぎないかい。
それでも自分の正当性を示す程、絶対的な自信なんてものはなく、いつだって疑心暗鬼だ。「自分が弱いだけなのか」その問いかけを続けて、続けて、続けて朽ち果てた。
僕が察知した危険因子は、こちらに銃口を向け、容易に僕を打ち抜くだろう。希望の血が流れ、絶望の地で這いつくばる。体は動かない。視線だけで相手を追う。表情は掴めない。乾く。乾く。眠る。

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