2年前、その半年後、今。
Category:Memento |
2013/03/12
震災から2年。ほとんど何もできなかったと言っていいと思う。特にこの1年は、何事もなかったまではいかないけども、思考時間すら確実に減ってきて、言及する人を見かける頻度も減少し、自分の中で相対的に小さくなってきている。
これまで当たり前だった暮らしに戻れない人はまだ多い。僕はその時、たまたま大井町という津波のやってこなかった場所にいただけだ。(「たまたま」という表現に違和感があるけど、気にしだすと何も書けなくなる気がするので、できる限り正直に書き綴るしかない。)
唐突だが、大学時代の友人の実家が農家であり、米が無くなってきた際、購入したいと友人にお願いをし、送っていただいている。買い始めた理由は単純で、市販のものよりおいしいからだ。(それも、とてもおいしい。)
その実家は石巻にある。震災で大きな被害を受けた場所の1つだ。友人の両親など近しい人の命は助かったとのことだが、親戚で亡くなった方もいるらしい。そしてまた、農地も被害を受けていた。震災以降、我が家の米は、市販のものに変わった。
約半年後、何気ないやりとりから新米を送ってもらえることとなった。そうして石巻から米を買う生活を再開した。詳しいことはわからないが、半年という短い期間で僕の手に米が渡っていることを鑑みると、被害は比較的小さかったのかもしれない。
久しぶりに米が届いたとき、とても嬉しかったことを覚えている。いや、嬉しいというより、安心に近かったような気もする。とにかく、そこにプラス方向の新しい息吹を感じた。
震災後していた募金と違って、この行為に「支援」の感覚はほとんどない。ただおいしいから買っているだけだ。
こんな風に、『おいしいから』、『好きだから』、『面白いから』、そんな普通の理由で、そして普通の感覚で、僕は被災してしまった土地(と、そこで営む方々)と早く付き合えるようになれればいいなと、そう思った。
震災について書くなら原発にも触れるべきだが、今日はこの辺で。1つ実感しているのは、なあなあでは絶対無くならないということ。それを踏まえなければならない。
追記。
ニュースでは、まだまだ支援の必要な状況が映し出されている。上に書いたことを取り消しはしないけど、当然、被災地が均一ではない。支援の意識を捨て去ってしまってはいけない。