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temporary praying interspace

Renovation_161203
Renovation_161203
Renovation_161203
ただ壁であり床であり天井であるものに囲まれた空間は宗教性を帯びると知った。祈りの空間。比較は失礼にあたるかもしれないけど、ルイス・カーンを想起した。(って言っても実際に空間を体験したことはないんだけど、学生時代に疲れ果ててうとうとしながら映画館で観たマイ・アーキテクトではなんらかの神聖なものを感じた。)そして長い年月を経過して少し朽ちた素材で構成されていることもまた何とも言えない趣きを醸し出していた。
毎週のように現場へ顔を出していると、住むための要素がその度に付加されていく。暮らしは根源的な美しさだけでは成立しない。僕が実際に訪れた最も美しい建築はバルセロナ・パビリオンだと思うけど、あれはあらゆるものを削ぎ落としたモデルでしかないものだし。
このリノベーションが完成したらそれはもちろん感動するのだろうけど、解体後の一瞬だけ現れた住めやしない神秘的な空間を肌で感じられたことは貴重な体験であった。

パブリックの体現。

Musashino Place
Musashino Place
Musashino Place
Musashino Place
Musashino Place
Musashino Place
Musashino Place
Musashino Place
Musashino Place

『武蔵野市立ひと・まち・情報 創造館 武蔵野プレイス』

公共建築ではシアトル中央図書館以来の衝撃かもしれない。そしてその衝撃は独創的な新しさによるものではない。

配置レベルでは、北側の広場によってまち(主に駅)との関係をつくっている。幼児(及びその親)が多く利用していて、規模的にも間延びせずちょうどいい。北側以外の三方は敷地の外側まで繋がっているような構成にはなっていないが、四周道路に囲まれており全てを表として扱うのは無理なので、東西南北面全てを同形式の外装にしていることを主として、うまく処理しているようにも思えた。

もっと心を動かされたのは内部空間。間仕切りなど丸みを帯びた形状を徹底して用いることによって柔らかさが出て、乳幼児〜中学生くらいを重視しているのではないかと想像できる。ここと比べると、シアトルが大人のための建築だとよくわかる。
間仕切りだけ取ってみても、壁に丸みのある開口部を設けることで屋内空間の分節を行っており、開かれすぎず閉じすぎず心地よい。

何より来館者の和やかな雰囲気がとても良かった。使い慣れた感じも出ていた。そういう意味では、気になる建物を訪れるのはある程度時間が経過してからの方がいいのかもしれない。

忘れないうちに書き留めておきたかったため思いついたことをざっと書いたが、色々勉強になりそうなのでもう少し整理したいところ。

価値を表情として。

Daikanyama, Tokyo
Daikanyama, Tokyo
Daikanyama, Tokyo

代官山という地域性を体現している。ゆっくりと流れる時間軸と洗練された空間軸。街としての建築。

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