ほとんど夢を見なくなった。あるいは、見た夢を覚えていることがなくなった。物思いに耽ることが少なくなった。もしくは、思考が浮遊することが減ったとも言える。
地続きの現実がひたすら続き、消灯するみたいにパッと意識がなくなり、気づいた時には夜は朝に変わっている。眠ることで唯一シーンが切り替わる。テイク1。起きる、移動する、働く、移動する、寝る。テイク2。起きる、移動する、働く、移動する、寝る。テイク3。起きる、移動する、働く、移動する、そしてこれを書いている。
モノレールが好きだ。視点が高いのがいい。窓が大きいのがいい。海を挟んで大都会東京を眺められるのがいい。ふっと、東京を客観的に見ることができる。普段は無数のアクティビティの1つでしかない自分が、その総体をぼんやりとでも意識できる。大丈夫、まだ根は張っていない。
飛行機は好きでも嫌いでもない。頭や耳の調子は悪くなるし、降りたら全身がだるい。その代わり、眠っている間に、本を読んでいる間に、遠くへ運んでくれる。仕事であれば、労働力を輸送してくれるとも言える。たまに墜落することを考える。真っ先に混乱する側か、冷静に誘導する側か、はたまた最後の余韻を楽しむ側か。イメージしようとしても、どうにもよくわからない。
空港が好きだ。特に国際空港が好きだ。旅立ち前の独特の顔が見れる。大きなスーツケースを引くビジネスマン、はしゃぐ子どもと叱る親、淡々と業務をこなすグランドアテンダント、少し疲れた様子の母国に戻る外国人。日常と非日常が入り混じっている。彼らの彼女らのストーリーを感じる。
どこよりも落ち着く自宅で、これを書いている。それではまた明日。
余程極端な場合を除いて、幸不幸なんて、結局現在地をどの位置から見ているかにすぎない。でも渦中にいるときはそうは思えないことの方が圧倒的に多い。「あいつは自分より不幸だから幸せだ」なんてことには大抵はならない。
とは言え、追い詰められたとき、一呼吸入れて冒頭の考え方を持ち出すことで救われることもある。もちろん他人と比べるのではなくて、自分の中で相対化するという意味において。そのため、過去に一定量の絶望達を乗り越えておくと良い。つまり、未来の苦しみに備える適切な過酷さを前もって体験しておくということ。
なんだか本末転倒な気もするけど、ほんの一握りの幸運な人以外は歳を重ねると相応のしんどさに対面する可能性が高いと思っている。僕は子どもの頃から、なんとなく、大人って大変なんだろうなと思い描いていた。というより、子どもって楽だけど、大人になってもこのままいけるはずないだろうなという方が近いか。だから、部活やら一人暮らしやらバイトやら研究室やらで、なるべく厳しい局面を自ら選んだ側面は少なからずある。
未だに最も辛かったと感じているのは、大学1年の頃にやっていた中華居酒屋でのバイトだ。新人が4人入って、1週間で3人辞めちゃうくらいのバイト。通しなら14〜5時間くらい働いていたし、その間に冷えたまかないを5分で食べるとか。そして何より、店長がめちゃくちゃ怖かった。ミスをすると、アイスピックで割る前の大きな氷を投げられたり、思いっきり太腿に膝蹴りを入れられたり。あまりに辛くて、バイト後、牛丼屋で一人泣きながら食べたりしたこともあった。(ただの気持ち悪い奴。)
それが未だに人生で一番。(でも不思議なもので、記憶から無くしたいとは思わない。それなりに楽しい部分もあったし。)仕事を始めて5年が経ち、裁量とともに責任も増し、それなりに多忙な毎日で、矢面に立つ場面も増えて、どんどん削られていく中で、なんとかやっていけてるのは、そのバイトをはじめとした過去があってだと心の底から思っている。
いや普通の人ならそこまでしなくていいのかもしれない。でも特上の甘ちゃんで突き抜けて秀でるものがなかった自分が、学生を終えた後の長い人生を生き抜くためにそういうワクチンを打つ必要があった。
自分の人生からは逃げられない。
週末、高校時代の友人の結婚を祝いに京都に行ってきた。披露宴は平野神社での花見。常識に囚われない彼らしい選択だ。
高校時代の友人はもう一人来るはずだったのだが、近親の健康状態が悪化したらしく、急遽欠席するとの連絡が入る。そういうわけで知り合いは皆無。妻が帯同してくれていてよかった。(僕らの結婚式の乾杯の挨拶をしてもらった経緯がある。)
特に結婚式らしいことは何もなかったけど、こうやってよくわからず飲むなんて機会がこの先そんなにあるわけでもないので、存分に楽しんだ。
祝いの品として、新宿伊勢丹で買っておいた大吟醸(桜川)と台湾で買って持て余していたからすみを持参。自ら持ち込んでおいてあれだけど、このお酒はとてもおいしかった。また買いたい。
酔いが回っていたこともあり、二次会はパスした。少しホテルで休んで、夜の京都に繰り出す。しばらく歩いていると、僕が建築の道を目指すきっかけの1つであるTimesが目に入る。高校の修学旅行で近くに泊まっていて、まじまじと見たわけでもないのに、その建物がとても印象に残っていた。水と建築と関係に、大きな可能性のようなものを感じたのだと思う。大学に入り、有名建築家の作品だと知ったのは、もっと後のこと。(建築のことなんて何も知らない時代に、それだけ印象に残るなんて未だに不思議だ。)
珈琲を飲み、小腹をカレーうどんで満たしホテルへ戻る。
翌日は観光や買い物をして、夕方の新幹線に乗り東京に戻った。仁和寺の御室桜に酔いしれた話なんかは写真を現像した際にでも。
何か機会がないと行こうとは思わないだろうけど、短期間の旅もなかなか悪くないと改めて思った。口実を作って、またこういう旅を積み重ねていきたい。
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写真は全く関係のない中目黒。夜の写真はイメージを解放し、夜の思考は闇に浸透して広がる。
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