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3.1Mとその約半分。

Yutenji, Tokyo

割と厳しくなると想定していた年度末だが、蓋を開けてみると予想以上だった。3月でまともに休んだ日は2日くらいだろうか。さすがに徹夜は辛い年齢になってきたので、そこはうまくケアしながらやっているけど、それでもまあ大変。
しかし、結局作業では心は病まないことが改めてわかった。社内・社外にかかわらず、人を介しての「調整」というものが最も精神をすり減らすのだ。例え自分の感情をコントロールできても、他者の意図を汲み取るのは容易ではない。最近の一番強い欲求は気持ちよく働きたいことなので、自らが多少損してでも、そっちの方向に舵を切ったりしている。

先週、六本木アートナイトへ行った際、Twitterでやりとりしている方々と会う。なんだか意味がわからなくて面白かった。この「意味がわからないのに面白い」は、「面白い」の本質をついている気もする。きっと、意味がわからないからこそ面白いんだ。

人で落とされることもあるし、人で救われることもある。絶望も希望も、そこにある。

腰を下ろす。

Sapporo, Hokkaido
Sapporo, Hokkaido
Sapporo, Hokkaido

こういうのが豊かさなんじゃないかと、常々感じる。そして、僕が仕事で目指す先を体現しているんじゃないかと思う。

今回の写真レイアウトは、完全にブルータスNO.750のラオスページの影響。

可能性の変容。

Saroma, Hokkaido
Saroma, Hokkaido
Saroma, Hokkaido
Saroma, Hokkaido
Saroma, Hokkaido

何も書くことが思い浮かばないので、テレビを消して、Stan GetzのWhat The World Needs NowのLPを再生した。甘ったるいが決して嫌いではない。

拘ることと拘らないことの両方が大切なんだと思う。許容量ってのがあって、多くのことを突き詰めようとすると、逆に中途半端になる。「時間は限られている」なんて常套句があるけど、興味を追求する能力の方が限られている気がする。あれもしたい、これもしたい、と思い描くことはできても実行はなかなか難しいものだ。とことんなんて言えるレベルまで到達できるのは、かなり稀なこと。(1つのテーマをどこまで細分化するかにもよるが。)

だからと言って、捨てていくという表現はあまり好きじゃない。絞っていくの方が適切だ。絞っていけば、自然と両手から零れ落ちる。時にそれは寂しさを伴い、意図的に削ぎ落とす行為になるかもしれない。でもそれでいい。悪くない。
もはや、「可能性」は広がりを示しているのではなく、長いトンネルを切磋琢磨しながら進んだ先に差し込んでくる光のようなものだ。

何はともあれ、そろそろ暖かくなればいいのに。

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