あっという間に春がやってきた。年度末という絶望を乗り越えたはずなのに、そんなに気分は晴れない。すーっと完全に力を抜けるような、大きな区切りはしばらくやって来ないのかもしれない。
一昨日、日曜日だというのに、仕事のミスが発覚し落ち込む。すぐに謝罪するも根本的な解決にはならないため、もやもやした気持ちで就寝。会社をクビになる夢を見る。
昨日、出社すると、一昨日のミスの件だけでなく、色々なことが起こり、ただただ打ち拉がれる。沈んだまま打合せのため外出。
早く終わったので、少しだけ関わっていて最近オープンした近くの建物に立ち寄った。低層部の図書館と商業施設を歩き回ると、平日なのにかなり多くの人々が集まっていて驚く。人の流れも変わった気がするし、何より、真剣な表情や楽しそうな表情を見ることができて嬉しかった。もちろん問題点はあるのだろうが、俯瞰的に見ると街にポジティブな影響を与えているのではないだろうか。
わずかながら仕事の意義や醍醐味を実感した。やり抜くことができれば、胸を張ることができる、と。
凍った土壌がほんの少しだけ解けた気がした。
割と厳しくなると想定していた年度末だが、蓋を開けてみると予想以上だった。3月でまともに休んだ日は2日くらいだろうか。さすがに徹夜は辛い年齢になってきたので、そこはうまくケアしながらやっているけど、それでもまあ大変。
しかし、結局作業では心は病まないことが改めてわかった。社内・社外にかかわらず、人を介しての「調整」というものが最も精神をすり減らすのだ。例え自分の感情をコントロールできても、他者の意図を汲み取るのは容易ではない。最近の一番強い欲求は気持ちよく働きたいことなので、自らが多少損してでも、そっちの方向に舵を切ったりしている。
先週、六本木アートナイトへ行った際、Twitterでやりとりしている方々と会う。なんだか意味がわからなくて面白かった。この「意味がわからないのに面白い」は、「面白い」の本質をついている気もする。きっと、意味がわからないからこそ面白いんだ。
人で落とされることもあるし、人で救われることもある。絶望も希望も、そこにある。
震災から2年。ほとんど何もできなかったと言っていいと思う。特にこの1年は、何事もなかったまではいかないけども、思考時間すら確実に減ってきて、言及する人を見かける頻度も減少し、自分の中で相対的に小さくなってきている。
これまで当たり前だった暮らしに戻れない人はまだ多い。僕はその時、たまたま大井町という津波のやってこなかった場所にいただけだ。(「たまたま」という表現に違和感があるけど、気にしだすと何も書けなくなる気がするので、できる限り正直に書き綴るしかない。)
唐突だが、大学時代の友人の実家が農家であり、米が無くなってきた際、購入したいと友人にお願いをし、送っていただいている。買い始めた理由は単純で、市販のものよりおいしいからだ。(それも、とてもおいしい。)
その実家は石巻にある。震災で大きな被害を受けた場所の1つだ。友人の両親など近しい人の命は助かったとのことだが、親戚で亡くなった方もいるらしい。そしてまた、農地も被害を受けていた。震災以降、我が家の米は、市販のものに変わった。
約半年後、何気ないやりとりから新米を送ってもらえることとなった。そうして石巻から米を買う生活を再開した。詳しいことはわからないが、半年という短い期間で僕の手に米が渡っていることを鑑みると、被害は比較的小さかったのかもしれない。
久しぶりに米が届いたとき、とても嬉しかったことを覚えている。いや、嬉しいというより、安心に近かったような気もする。とにかく、そこにプラス方向の新しい息吹を感じた。
震災後していた募金と違って、この行為に「支援」の感覚はほとんどない。ただおいしいから買っているだけだ。
こんな風に、『おいしいから』、『好きだから』、『面白いから』、そんな普通の理由で、そして普通の感覚で、僕は被災してしまった土地(と、そこで営む方々)と早く付き合えるようになれればいいなと、そう思った。
震災について書くなら原発にも触れるべきだが、今日はこの辺で。1つ実感しているのは、なあなあでは絶対無くならないということ。それを踏まえなければならない。
追記。
ニュースでは、まだまだ支援の必要な状況が映し出されている。上に書いたことを取り消しはしないけど、当然、被災地が均一ではない。支援の意識を捨て去ってしまってはいけない。