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can’t hide.

yawning

ここのところ、所謂文化系の活動はほとんど休止中で、所謂運動系の活動ばかりしている。元々ハイキングとフィットネスジムが始まりだけど、最近は雨が多く後者ばかり。

受動的なところから能動的なところに自分を置くこと、身一つで成果まで辿り着けること、そこかしこにある雑音に惑わされなくて済むこと、などなど今の自分にとって必要なことが多分に含まれている。でもそんなことよりも、ただやりたいからやっているだけなような気もしてきている。
強いて言うなら、東京は本当に文化的なものが溢れていて、10年近くその文化を享受しようと自分なりに躍起になっていた。そうするとどんどんフィジカルが置き去りになり、加えて加齢からくる衰えも感じつつあって、ここらで一度学生時代の動けていた自分を取り戻してみようじゃないかと発起した。
だいぶ体も絞れてきたし、持久力もそこそこついた。とはいえイメージの中にある過去の自分はまだ先にある。そこまでいけるかわからないというかおそらく無理だとわかっていても、諦める選択をする必要はないだろうから細々とでも続けたい。

知識や技術や感情や言葉やその他諸々を最大限に活かすには、肉体というプリミティブなものをある程度自由に動かせられないといけない。逆に特別な能力がないからこそ、それが重要なんだと思う。
あとは職業柄、腹の出てる奴がサスティナブルとかスマートとかデザインとかのたまっても説得力ねぇだろ、単純に。「お前自身の持続可能性はどうなんだ?」とか思われるだろ、心の奥で。

去年は資格の年だとしたら、今年は肉体鍛錬の年にしたい。

復活の呪文があるなら。

after-dark sea

プライベートでやりたいことは割と明確なんだけど、それが仕事となるとすごく曖昧だ。与えられた仕事にはそこそこ対応できる一方、どんな仕事をしたいか問われたとき、すぐにははっきりと答えらない。
仕事そのものへの面倒くささみたいなものが先行してしまい、どんな仕事でも大差ないんじゃないかとか、そんなことを感じてしまう。というより、これまでの経験では大変なことがほとんどで、その大変さが自分を覆ってしまい、わずかばかりの楽しさや面白さもどこか奥底に隠されてしまったのかもしれない。しかも働き始めて比較的すぐに。

成し遂げたいこととそれに対する犠牲の間を彷徨っていて、色々なところを蝕んだ犠牲に対してアレルギー反応が強くなってしまった。

心や体が回復しても、モチベーションが最後のハードルとして残されている。

方向転換、あるいは軌道修正。

Mt. Hodo

ハイキングとジム通いを新しく始めた。
山の気持ち良さやトレーニングの達成感など、手段としてだけでなく、そのこと自体に面白く取り組めている。この調子で継続できるのが一番だけど、仕事の忙しさによってはなかなか難しいはずなので、そういうときでもか細く続けていきたい。

目的のための手段としている部分もあって、それはやはり健康維持や体力強化あたり。特にここ数年は長時間のデスクワークや運動不足を要因として、体のあちこちが痛い状態が普通になってしまい、それによって集中力や思考力、そしてメンタル的な部分が弱っているような気がしていた。
元々メンタルはそれほど強くなく、気持ちの切り替えなどでどうにかタフになれないものかと思っていたりもしたが、根本的な改善には至らない。そこから、メンタルが向上しないなら、せめてフィジカルだけでもというところに着地した。体は屈強なのに心は病んでるみたいな人はあまり見かけないし。

始めてからの日が浅いため、結果(効果)はもう少し様子を見た方がいいかもしれない。ただ、少なくともあちこち痛かった体は痛みを感じることがほとんどないし、気分が落ち込む機会も減ったように思う。
もちろん、精神的に弱っている人は運動すれば解決みたいな単純な話ではないけど、やり方の1つとして、まずは体を健康な状態に持っていくみたいな方法もありそう。

一方で、やりたいことが増えてくると、珈琲を筆頭として今までの趣味に割ける時間が減少しているので、そのうちうまくバランスをとれるようになるといいな。

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