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foot by foot.

Mt. Kinpu

少し前、イヤホンのイヤーピースの片方を失くしただけなのに思った以上に動揺した。ランニング用にと思って買ったbluetoothのものだったが、とても便利で通勤にも使っていた。日常に溶け込んだ何気ない行為を制限されるだけで落ち着かない気分になる。(特にランニングの際、音楽を聴けないことを考えると滅入った。)

そんなに高いものでもないとは言え、まだまだ使えるものを買い直す気分にもならず、数日が経過した後、イヤーチップのみ手に入れる方法はないか、メーカーにメールで問い合わせてみた。程なく返信が来た。
「イヤーチップのみの取り扱いはないので、100均で買うのがいいと思うよ」
ここまで適当な感じではないが、内容をコンパクトにまとめるとこうなる。僕はむかつくどころか、100均で代替品が売っているものなのかと感心してしまった。すぐに買いにいって、イヤホンに取り付ける。耳に装着してみると正規品よりもフィット感が向上して驚いた。(走っているときにずれることもほとんどなくなった。)

 

振り返ると、そこまで落ち込む内容でもないし、解決法も大したことではない。わざわざここに書くほどのことかという気もする。
でもなんだかこの出来事によって、自分の感情の動きに対して冷静になれたような客観的になれたような感覚がある。小さなことでも揺れ動くって話だけではなく、逆に大きなことでも必要以上に捕われる必要はないのではないか。その実感を得てからいくらか(いや随分と言ってもいいかもしれない)気分が楽だ。

悩みは尽きない。尽きないからこそ、起こっている事象と自分自身の距離をある程度引き離す。失敗や人間関係そのものが僕を痛めつけるのではない。失敗に対する後悔やもつれた人間関係に対する不安が僕を痛めつける。同じようで全然違う。

仕事は個人でどうにも解決できないことも多い。だからこそ一定時間深く考えてもどうにもならないと思えば、(少なくとも自分よりは)解決できる可能性がある人に預けて、自分がそのときやるべき作業や調整で良いパフォーマンスを発揮するしかない。抱えて切り離してをうまくできないとどんどん息苦しくなるだけだ。

 

先日33歳になり、業務量も確実に増えてきたので、この1年の目標は今まで書いてきたことをまとめて「事象と感情の適切な距離感を保つ」といったところだろうか。

そろそろもっと楽しげなことも書きたいけれど、それはまた今度。