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Where Do I Begin

cafe arie

シンプルに生きるには努力しなくちゃいけない。
そのことをひしひしと感じている。

 

代官山から恵比寿に向かう駒沢通りが好きだ。何があるわけでもなく、やたらに幅の広い道路で車が行き交い、その割に歩いてる人は少ない。通り沿いにある、タバコの煙が蔓延している昔ながらの喫茶店には随分行っていない。愛想をふりまかないあの感じは好きなのに。

 

12月になってからはやたらとお酒を飲む機会が多い。仕事関係がほとんどだけど、それほど嫌な気分になることはない。昔は付き合い的な酒が決定的に苦手だった。時間の無駄としか思えなかった。今は無駄に潜り込むことで、後々救われることもあるって思えるから、それなりに楽しくやっている。(あくまで“それなりに”というのがポイントだ。)
とはいえ必要最低限に留めていて、自分が無理しない程度でやりくりしている。無駄はよくても無理はよくない。

 

この先新たな出会いはあるだろう。でもその出会った人の奥底にあるやらかい部分に触れることはできないかもしれない。いやこれまで出会ってきた人達のそういう部分にもほとんど触れることなんてできてない可能性すらある。
それでも僕がどこかで見せている顔は(それがたとえ取り繕っているとしても)やらかい場所に繋がっているし、表出している多面性そのものが僕の中心に腰を据えているような気もする。全てと対面できる人はいないし、自分自身だって同時に感じることはできない。しかもそれぞれの顔は少しずつリニューアルしていくのだから、総体を捉えるなんて難しい(では済まない)。

全て知りたいなんて思わなくなったその時が大人になった瞬間と定義できる。なんてことを考えながら夜が更けていく。