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日が沈んだ後の戯言。

Daikanyama, Tokyo
Daikanyama, Tokyo
Daikanyama, Tokyo
Daikanyama, Tokyo

あまりの殺伐さに面を喰らい続けている。真剣ってこととは別次元の、何か(きっとお金とかステータスとか)に囚われた人間達の狂気の世界がそこにはある。今の自分は眺めているだけなのに、呆然と立ち尽くしてしまう。
割り切りやがむしゃらが必要なのはわかる。わかっていても、どうしても馴染める気がしない。飛び込んでしまえば馴染んでしまうのだとしても、客観的な立場にいる今の判断は、正しくはなくても、本音であるのは間違いない。
逃げ腰な姿勢だって指摘があれば、それは否めない。でももはや覚悟を超越したレベルにまで到達しちゃってる。

どうしたもんかな。

The memory is growing fainter with each passing moment.

Kohoku, Tokyo
Kohoku, Tokyo
Kohoku, Tokyo
Kohoku, Tokyo
Nippori, Tokyo

冬の近づいた秋の日。革靴を修理するため、あまり訪れない地域へ。

再びこんな風に何の気なしに出かけられるようになったことが、やっぱり嬉しい。
取り留めのない会話をしながら歩く。その場所でする必然性のない会話。でも、目に見える景色に、鼻や肌で感じる街の匂いに、確実に誘発されている。

残された時間に思いを馳せるには早すぎるけど、脳から漏れていく記憶をどんどんもったいないと感じるようになっている。とはいえ、たまりにたまった思い出を両腕で抱えて歩くのは大変だから、削ぎ落とされてポケットに閉まっておけるくらいがちょうどいいのかもしれない。どうしても過去に浸かりたいときは、机の奥から引っ張り出したりなんかして。

一先ず、今生きていることにできるだけ集中しよう。
昨日纏ったものを脱ぎ捨て、今日を着て。今日染み付いたものを洗い流し、明日を吸収できるように。

振れ幅そのものを持ち上げたい。

Yoyogi, Tokyo

どうもインターネットに落とす自分の言葉(特にTwitter)が気持ちよくない。逆にTLを見て過敏になってしまうこともある。
そういう状況を改善できないかなぁと思っていたところ、ごはん屋さんにあった村上ラヂオ2をぱらぱら読んでいると、これは参考になるぞという記述があった。

とはいえ僕にも、エッセイを書くに際しての原則、方針みたいなのはいちおうはある。まずひとつは人の悪口は具体的に書かないこと(これ以上面倒のたねを増やしたくない)。第二に言いわけや自慢をなるべく書かないようにすること(何が自慢にあたるかという定義はけっこう複雑だけど)。第三に時事的な話題は避けること(もちろん僕にも個人的な意見はあるけど、それを書き出すと話が長くなる)。

自分でも原則を作っておくことで、垂れ流す前に一瞬立ち止まれるのではないか。そして、他の人の言葉を見たまま受け取らず、フィルターがかかることで冷静でいられるのではないか。という効果に期待して。
引用した原則をかなり活用しているけど、一応自分バージョン。

● 特定の人に向けた具体的な悪口とともに、趣味嗜好でしかないことに対するネガティブな発言を控えること。
● 言いわけや自慢(変なアピールも含む)をなるべく書かないようにすること。
● 時事的な話題は考えが全然整理されていないまま言及しないこと。

やってみて変わることもあるかもしれないけど、とりあえずしばらくこれで。

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