Inside Llewyn Davis / Ethan Coen, Joel Coen
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2014/11/19
先日、飯田橋のギンレイホールで『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』と『グランド・ブダペスト・ホテル』を立て続けに観た。(ギンレイホールは2本立ての所謂名画座で、初めて行ったんだけど雰囲気のあるとてもすてきな場所だった。)後者の方が誰に対してもおススメしやすいのだけど、心に引っかかった前者について書いてみる。
つらつら書く前に、『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』って邦題はあまりにもダサいので、以下『Inside Llewyn Davis』と記載することにする。
売れないミュージシャンがなんやかんやしてもうまくいかず、ちょっと旅に出てもうまくいかず、結局売れることもなく終わる。ストーリーを簡単に文章にするとこんな感じ。抑揚なんてほとんどないし、これでカタルシスを感じる人はかなり珍しい側の人間だと思う。
でも監督作品を数作観た中で、個人的にはこれが一番コーエン兄弟っぽい。この監督の作品の根底には人間のどうしようもなさがあるような気がして、しかもそのどうしようもなさを認めてくれているように感じる。それがInside Llewyn Davisには最も純粋な形で現れている。始まりから終わりまで救われることがない主人公。普通なら暗い気持ちで映画館を出ることになるのだけど、どこか愛のある描かれ方がされているせいか、終わった後はもっと混沌とした感情だった。少し清々しさすらあったかもしれない。
何かを成し遂げられることができればいいが、そういうことばかりじゃないし、場合によっては何も成し遂げられず死んでいくかもしれない。それでも(たとえクソみたいな人生でも)価値はあるんだと言ってくれているような。いや違うか。価値なんてなかったとしても、生きることを許容してくれるような。
逆説的に、僕はInside Llewyn Davisみたいな映画があるからこそ踏み出していける。意味あるものを、価値あるものを、なんとか生み出せないかと試行錯誤できる。
失敗に絶望したって、生きていけるのだから。
あと、いいなと思っていた女優がキャリー・マリガンだと終わった後に知って、「なんで気づかなかったんだ!」ってよくわからない後悔の感情が芽生えた。黒髪のイメージがなくて、鑑賞中は全然気づかなかった。。。