2〜3ヶ月後に高校受験を控えた中学3年のとある日、急遽自習になった授業があった。
先生が教室を出ていった後、男子を中心としてすぐに騒ぎ出す。僕の近くに座っていたそこそこ勉強のできる女子は、自習時間を有効に使って学習したかったらしく、周りの騒がしさにイライラがピークに達している様子だった。とはいえ、クラスにおけるその子のスクールカーストはそこまで高くはなく、自分が注意してどうにもならないだろうと思っていたのか、僕に声をかけてきた。
「うるさくて勉強にならないから注意してよ」
あらかじめ言っておくと、僕は(あくまでその子に比べれば)クラスへの影響力もあったし、まあ勉強も校内ではかなりできた。多分そういうこともあって声をかけてきたのだと思う。
でも僕は騒ぐ側に加わる気もない一方、勉強する気もあまりなくて、確かこんな答え方をしたような気がする。
「別にいいじゃんこのままで」
この話から得る教訓なんてものはよくわからないけど、15年以上前のこの件を時々思い出してしまう。強いて言うなら、僕は自分を傍観者の位置に置いてしまうことが多いということかもしれない。もちろんそれは直接的な影響がないときに限られる。
関係ないなって思ったら、当事者的な感覚を保てない。相手の気持ちを汲むことが重要な仕事なのに、想像力をうまく発揮できない。そのくせ自分に降り掛かる火の粉には敏感すぎるほど敏感だ。利己的すぎるんだろうな。
大仰に言うなら、救いたくてこの仕事を選んだんだ。なのに利己的な自分が誰かを救いたいなんて、上から目線の何様か、はたまた無自覚な馬鹿者かのどちらか。
ありもしない線を引いて、さも『そっちの世界では』みたいに扱ってしまっている。
そこに、線はない。
僕は本当に意志が弱い。「よしやろう!」と決めても、持続しないことがほとんど。勉強をはじめとして、何かを積み重ねることは大体そんな感じで。決意なんてものは役に立たない。けっこう昔からそのことは自覚していて、あるときからそういう根拠のない決意を全く信用しなくなった。
でも怠惰に染まっていては生きていけないと思ったので、やった方がいいけど自信がない場合は、やらざるを得ない環境に自分を放り込むにしている。もちろん最初だけは決断するわけだけど、その後はやるかやらないかなんて判断で悩むこともなく、ただただやり続けるしかなくなる環境に。
まさに今回の資格取得もその手法を使った。具体的な放り込み方としては3つ。
1つ目は、受験することをあえて周りに言いふらすこと。そうすると引き下がりにくくなるし、協力的な態度なんかとられようものなら、手を抜けなくなる。
2つ目が僕にとっては重要で、ある程度金銭的な負担をかけること。無駄金にしないためにそりゃもう必死になる。ちょっと詳しく書くと、1年目はテキストだけもらって自宅学習、そして2年目に通学して一次の学科試験突破を目指すというコースに、60万円くらい即金で資格学校に支払った。で、このコースのポイントは、1年目で学科を通ると二次の実技試験対策コースにお金を回せて、それでも余った分はキャッシュバックされるということ。国の支援制度を使ったこともあり、結果的には自腹で学校に支払った合計はおおよそ30万円で済んだ。(それでも十分高いけど。)
結局何が言いたいかというと、金銭的なリスクを取ったということ。一次試験に落ちると、翌年に向けて学校へ通うことが決まっているので、否応無しに60万取られるわけだからそりゃ必死にもなる。二次の実技対策の分を入れたら、100万近くに膨れ上がるわけだし。一次が通って二次で落ちると、翌年は二次から再チャレンジできるけども、それにしたって学校へ通うには相応の金額が飛ぶ。
3つ目は副産物的な要素だけど、継続的な学習を続けていると、他に使えた時間を犠牲にしているという見方もできる。実務的な知識として必要な部分もある一方、所詮資格を取るための勉強でしかない側面もあり、それに何年もかけるのはもったいない。
結論としては、当たり前だけど1年で取ってしまうのが金銭的にも時間的にも最も負担が少ない。合格しないと諸々のリスクが大きすぎる状況に持ち込むことは、すぐに揺らぐ自分の決意なんてものより、よっぽど信頼できる自己コントロールだと思う。
資格の話で顕著だっただけで、何事も基本的には「自分はだらしない」という前提を踏まえて、「じゃあそんなだらしない自分がそれをやるにはどうすべきか」ってことからスタートするようにしている。
別にリスクを取るだけがモチベーション維持の方法じゃないけど、「なんとなくやれそう」とか曖昧なものは本当に危険だと思う。
明るいばかりじゃなくても未来はやってくる。
大人になってからは一喜一憂してばかりだと思っていたけど、いつだって一喜一憂してきた気がする。
むしろ、簡単には動じないくらいにならないと、大人とは言えないのかもしれない。だとしたらしばらく大人にはなれなそうだ。
それでも未来はやってくる。