『武蔵野市立ひと・まち・情報 創造館 武蔵野プレイス』
公共建築ではシアトル中央図書館以来の衝撃かもしれない。そしてその衝撃は独創的な新しさによるものではない。
配置レベルでは、北側の広場によってまち(主に駅)との関係をつくっている。幼児(及びその親)が多く利用していて、規模的にも間延びせずちょうどいい。北側以外の三方は敷地の外側まで繋がっているような構成にはなっていないが、四周道路に囲まれており全てを表として扱うのは無理なので、東西南北面全てを同形式の外装にしていることを主として、うまく処理しているようにも思えた。
もっと心を動かされたのは内部空間。間仕切りなど丸みを帯びた形状を徹底して用いることによって柔らかさが出て、乳幼児〜中学生くらいを重視しているのではないかと想像できる。ここと比べると、シアトルが大人のための建築だとよくわかる。
間仕切りだけ取ってみても、壁に丸みのある開口部を設けることで屋内空間の分節を行っており、開かれすぎず閉じすぎず心地よい。
何より来館者の和やかな雰囲気がとても良かった。使い慣れた感じも出ていた。そういう意味では、気になる建物を訪れるのはある程度時間が経過してからの方がいいのかもしれない。
忘れないうちに書き留めておきたかったため思いついたことをざっと書いたが、色々勉強になりそうなのでもう少し整理したいところ。
2015年が始まった。今年もどうぞよろしくお願いいします。
昨年末に何となく今年の決意めいたものは書いたので、そういったことは割愛。少しだけ付け加えるなら、あんまりみんなの顔色ばかり窺うのはやめて、できるだけ伸び伸びやっていけたらいいな。
この後、帰省のことをつらつら書いていたけど、あまりにも辛気くさい話だったのでやめた。この歳ともなると、家族について色々考えることも増えてくる。それが大人としての役割の1つだと思うし、むしろ今まで東京で好き勝手やらしてもらっていたのだから、これからは少しずつでもコミットしていかなきゃならない。
仕事もそうだけど、嫌だ嫌だと思って取り組むのはかなり不健全。楽しいとは思えないにしろ、必要以上に後ろ向きな対応はなくしたい。
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Twitterに、一人暮らし経験者の方が良い関係を築けるみたいなことをつぶやいた。内容自体はただ思ってることを書いただけだから別に改めて追加することもないのだけど、持論を展開したときそこに当てはまらない人(この場合だと一人暮らしをしたことがない人)が見たときに嫌だろうなってことについて、どこまで配慮すべきか未だによくわからない。
なるべくそういうことはここに書いて、Twitterでは思想・思考的な部分はおとなしくしていようって考え方だが、潔癖になりすぎると息苦しいし。特定の人物を貶めたくて発言しているなら当然やめるべきなのはわかる。それ以外で「自分はこう思う」って言うのはそんな変なことではないような。
八方美人的なやり方というのは結果として良い成果が出にくいというのは仕事で痛感しているし(マネジメントの話だけじゃなく事業のアウトプットとしても)、それはきっとここでも同じ気がする。
ともあれネットがどんどん難しくなってる。(自分がそうさせているだけかも。)
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やるべきことややりたいことがあるのだから、それを丁寧にやろう。
2014年ももうすぐ終わる。この記事が今年最後になるかは別として、今のうちに振り返っておこう。
10月中旬のいっきゅうけんちくし試験が終わるまでは、勉強の記憶ばかりが残っている。勉強していないときの焦燥感も含めて。一次試験の直前にはストレスが原因の歯痛に襲われ、二次試験の1ヶ月前には首のヘルニア一歩手前までいった。そこまで忙しくなかったとはいえ、どうしても仕事の合間になってしまうのでとにかく大変だった。
こんな風に冷静に振り返れるのも合格できたから。もう一年やるのは本当に嫌だったし、学校も二次だけの短期間だったから金銭的にもかなり抑えられた。(それでもけっこう痛い出費だったけど。)
とはいえ、仕事と勉強以外何もしてなかったと言えばそういうわけではない。
2月には台北に行く予定だったのに、大雪で成田空港に閉じ込められ、寝袋で夜を越した後、急遽高松旅行に切り替えた。高松以外に、試験までの間の遠出としては、GWに鎌倉・湘南に行ったことくらい。
試験後は11月に大学の友人と上海、12月に妻と台北リベンジ。前者は都市のダイナミズムを感じ、後者はとにかく食のオンパレード。(台北についてはもう少ししっかり振り返れるといいなぁ。)同時期にMacBook ProやTime Capsuleも買ったので、ちょっとお金を使いすぎている感じがある。毎月クレジットカードの請求が怖い。
仕事面で言うと、11月から元々いた部署へ正式に復帰した。(仕事自体はもっと前からやっていた。)それでも周りの仕事量に比べたらまだまだ。年明けからは増加してくることが間違いないので、うまく適応したい。そういう状況を乗り越えられると、自信を持って「もう大丈夫」って言えるような気がする。今は若干の不安がまだ残っている。やるしかないんだけどさ。
それと専門分野に対する知識を深めていきたい。というより、深めていかないとそろそろ立ち行かない時期に差し掛かっている。ライフワークバランスをないがしろにできないにしても、業務以外の時間をつぎ込まないといけない。
インターネット活動的な話としては、勉強が本格的に忙しくなる前にCoffee Mapを作成できたし、試験後にはOutdoor Coffeeも開催できた。来年もまた何かできたらいいなと考えている。
あと、ネットは普通にしてたら出会わないような枠の方々に知り合える(た)ので、改まってどうこうというわけでもないけれど、何かの機会に直接お会いできればなぁなんてことも思っていたりもする。(よろしくお願いします。)
そしてそういう日々の中で、とても悲しい出来事もあった。誤解を恐れないで書くと、自分とそのことから一定の距離があるのは事実で、だから正しい悲しみ方みたいなものがよくわからない。いつも途方に暮れてしまう。もっと近しい人の悲しみの深さを想像してしまって、思考回路がうまく働かない。実際には、その想像すらうまくできていないのだと思う。一緒のレベルで悲しむことはできないし、無責任に前向きな言葉を投げかけたりもできない。だからといって投げ出すわけにはいかないし、自分なりに向き合って、見守っていきたい。
来年の同じ時期にこの台詞が吐ければいい。
「大変なこともあったけど、充実していたな」
Best wishes.
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