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必要以上に恐れるな。

Tsubetsu, Hokkaido

最近、他者との関係を深めるためには、あまりごちゃごちゃ考えずに踏み出すことが大切だと感じている。いきなりアクセル全開で入り込みすぎちゃうことなんかを除いて、それを嫌な人はあまりいない。むしろ嬉しい人が多い気がする。結局、誰かに必要とされることに喜びって確実にあるんだよ。
悲しいことに、自分は多くの人にとって必要とされる存在にはなれない。でも踏み出すのは自分次第だから、気取らず素直に行動できればいい。関係を築いていくうちに、求められる瞬間もあるかもしれない。(数が多ければいいという話はないのだけど、さすがに近頃は閉じすぎている。)
会いたい人に会いたいと言い、話したい人には話しかければいい。これまで出会って来た人も、これから出会う人も。

インターネットの人も会ってみると面白い。そのまんま人となりが現れるから、Web上に比べ、情報量が相当多くて、やっぱり会ってみないと人ってわからないなって思った。
ただ、出会うことを主眼にSNSやら何やらをやっているわけではない。だからむやみやたらにって感じではなく、何かのとっかかりに乗じてお会いする方が増えればいいなと思っているので、その際はどうぞよろしくお願いします。

日が沈んだ後の戯言。

Daikanyama, Tokyo
Daikanyama, Tokyo
Daikanyama, Tokyo
Daikanyama, Tokyo

あまりの殺伐さに面を喰らい続けている。真剣ってこととは別次元の、何か(きっとお金とかステータスとか)に囚われた人間達の狂気の世界がそこにはある。今の自分は眺めているだけなのに、呆然と立ち尽くしてしまう。
割り切りやがむしゃらが必要なのはわかる。わかっていても、どうしても馴染める気がしない。飛び込んでしまえば馴染んでしまうのだとしても、客観的な立場にいる今の判断は、正しくはなくても、本音であるのは間違いない。
逃げ腰な姿勢だって指摘があれば、それは否めない。でももはや覚悟を超越したレベルにまで到達しちゃってる。

どうしたもんかな。

The memory is growing fainter with each passing moment.

Kohoku, Tokyo
Kohoku, Tokyo
Kohoku, Tokyo
Kohoku, Tokyo
Nippori, Tokyo

冬の近づいた秋の日。革靴を修理するため、あまり訪れない地域へ。

再びこんな風に何の気なしに出かけられるようになったことが、やっぱり嬉しい。
取り留めのない会話をしながら歩く。その場所でする必然性のない会話。でも、目に見える景色に、鼻や肌で感じる街の匂いに、確実に誘発されている。

残された時間に思いを馳せるには早すぎるけど、脳から漏れていく記憶をどんどんもったいないと感じるようになっている。とはいえ、たまりにたまった思い出を両腕で抱えて歩くのは大変だから、削ぎ落とされてポケットに閉まっておけるくらいがちょうどいいのかもしれない。どうしても過去に浸かりたいときは、机の奥から引っ張り出したりなんかして。

一先ず、今生きていることにできるだけ集中しよう。
昨日纏ったものを脱ぎ捨て、今日を着て。今日染み付いたものを洗い流し、明日を吸収できるように。

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