チミケップ湖近くの森を歩いていると、沼に出くわした。快晴の空から降り注ぐ光が水面を照らす。濁っていたこともあってか、見たことのない光景だった。目を離すことができず、そこに立っていた。不思議な心持ちのまま、その場を後にした。
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成し遂げたときの充実を得るためには、それまでの過程に一定量の苦労(苦痛に近い場合もあるかもしれない)がないと難しい。これはほとんど仕事のことを前提に書いている。
一方で、日々の暮らしを充実させたいって気持ちもある。さっき書いた充実とこの充実は、本来一緒のものかもしれないんだけど、今の自分にとってはかなりの距離がある。がむしゃらに仕事へ打ち込む過程そのものを、暮らしの充実と捉えらることができそうもない。
それでも、もう一度あの場所で勝負しないといけないとは思っている。負けたら多分東京からも離れることになる戦いを。
辛いのはわかりきっていて、でもそこで自分自身を試さないと、何にもなれない。どこにも行けない。不安や恐怖はある。やれんのか俺?って感じで。
勝ったとしても(ように思えたとしても)、ゴールじゃないから、ずっと苦難の道である可能性が高い。負けた方が余っ程楽。でも楽になれればいいなら、最初から勝負しなけりゃいい話。そうじゃない。「なんとかやれた」にしろ「やっぱりダメだったか」にしろ、自分の中の糧として積み上げなくちゃいけない。
打ち克ちたい。
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絶不調時に通い始めた病院が今日で終わった。薬も処方されず。ようやく。そしてここから。
看板おばあちゃん。人懐こいような、気にしていないような、その中間。
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年齢以上に、人生のどのフェーズにいるかが、人との距離感を測るのに適するようになってきた。例えば結婚してるとかしていないとか。例えば子供がいるとかいないとか。
もちろんそれを超越することもある。ただ、そういうことが会話の方向性を決めることも多い。自分の場合だと、子供のいる友人の話は、ためにはなるがおいそれと積極的に入っていくのは難しい。逆に、独身でばりばり働いている人と、結婚後の暮らしの話をしても盛り上がりにくい。
そこに優劣はない。違うということだけ。学生時代なんて、みんな一列に並んでいた気がしたのに。違うことは孤独に繋がっている。避けられない孤独に。それがある意味大人になることだ。昔はスタートを切ったばかりで、歩幅が違ってもそんなに差はなかった。方向が違ってもあくまで1つの塊の中での話だった。
自分だけの荒野。サバイブするにも僕なりの方法を見つけ出すしかない。誰かの生き方を参考にできても、カンニングで簡単に次のステージに進むことはできない。
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日本酒を飲んだ後の戯言。
最近、妻と2人で日本酒にハマった。きっかけはよく覚えていない。ただ、すごい勢いで熱が高まってるのは確か。大学時代のとある一件以来、どちらかというとずっと苦手だったのに。
知識が全くないから、本を買ったり。本醸造と純米の違いとか、吟醸と大吟醸の違いとか、ひやおろしの意味とか。でもそういうことを知っても、結局飲んでみないとよくわからない。だから、今はひたすら色んな銘柄を飲んでいる。
自分の傾向としては、吟醸系のきれいなタイプが好きな模様。(そんな言葉の使い方でいいかも不明。)逆に、妻はけっこうしっかりタイプを好んで飲んでいる。
今のところ、醸し人九平次、獺祭、会津中将、美丈夫あたりがおいしいと思った。とは言え、各銘柄で色々種類があるから、一概にそれを飲んでおけばいいというわけでもないんだけど。
少しでも知識を蓄えたい一方、気持ちよく酔って、幸せな気分になれればそれでいいかとも思う。
↑購入した本。