先日、日本酒を買いに行った比較的近場の酒屋さんで、『のんびり』という秋田についてのフリーマガジンをもらって帰った。日本酒がテーマだったから軽い気持ちで。(今回が発刊6号目。)
妻が先に読み、「面白い!」と太鼓判を押していたので、僕もどんなものかと読み始めた。すぐに引き込まれてしまった。杜氏や蔵元等へのインタビュー(というより会話に近い)で放たれる言葉が圧倒的に真摯で、これでもかと心に刺さる。きっと編集側の取材への姿勢もすばらしいのだと思う。
頑張ろうという気になった。それも、焦燥感とかではなく、希望の方の意味合いで。
以下、ちょっと長いけど、 高橋藤一杜氏の言葉を引用。(P43『挑む』より。)
酒造りも新しい事に取り組めば、失敗はつきものである。
挑戦しては失敗し、挑戦しては失敗し、
その繰り返しの中で、やっと成果を得ることができる。
独自の技術が身に付く。
その時の心の底から、湧き出す喜びと感動は、
その人を一回り大きく成長に導く糧である。
失敗するのは決して恥ずかしいことではない。
途中であきらめて投げ出すことが一番恥ずかしいことである。
酒造りは失敗の連続である。その失敗で何を学ぶかが大切である。
思いが通らなかったその酒に正面から向き合うことである。
語りかけることである。
その酒に答えが隠されている。
思いついたら挑戦しよう。
失敗しよう。
国酒の為に。
酒造りに限らない、誰にでも響く可能性のある言葉。このページに行き着く流れもあって、僕はちょっと目頭が熱くなった。
発行が9月末になっているので、未だ簡単に手に入るものなのか不明だけど、見かけたらぜひ読んでみてほしい。(時間が経つと、縮小版がサイトにアップされる模様。)
→ のんびり
<追伸>
『浅田家』で有名な浅田政志さんが、編集チームに入っているようで、写真もすごくいい。
チミケップ湖近くの森を歩いていると、沼に出くわした。快晴の空から降り注ぐ光が水面を照らす。濁っていたこともあってか、見たことのない光景だった。目を離すことができず、そこに立っていた。不思議な心持ちのまま、その場を後にした。
*
成し遂げたときの充実を得るためには、それまでの過程に一定量の苦労(苦痛に近い場合もあるかもしれない)がないと難しい。これはほとんど仕事のことを前提に書いている。
一方で、日々の暮らしを充実させたいって気持ちもある。さっき書いた充実とこの充実は、本来一緒のものかもしれないんだけど、今の自分にとってはかなりの距離がある。がむしゃらに仕事へ打ち込む過程そのものを、暮らしの充実と捉えらることができそうもない。
それでも、もう一度あの場所で勝負しないといけないとは思っている。負けたら多分東京からも離れることになる戦いを。
辛いのはわかりきっていて、でもそこで自分自身を試さないと、何にもなれない。どこにも行けない。不安や恐怖はある。やれんのか俺?って感じで。
勝ったとしても(ように思えたとしても)、ゴールじゃないから、ずっと苦難の道である可能性が高い。負けた方が余っ程楽。でも楽になれればいいなら、最初から勝負しなけりゃいい話。そうじゃない。「なんとかやれた」にしろ「やっぱりダメだったか」にしろ、自分の中の糧として積み上げなくちゃいけない。
打ち克ちたい。
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絶不調時に通い始めた病院が今日で終わった。薬も処方されず。ようやく。そしてここから。
看板おばあちゃん。人懐こいような、気にしていないような、その中間。
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年齢以上に、人生のどのフェーズにいるかが、人との距離感を測るのに適するようになってきた。例えば結婚してるとかしていないとか。例えば子供がいるとかいないとか。
もちろんそれを超越することもある。ただ、そういうことが会話の方向性を決めることも多い。自分の場合だと、子供のいる友人の話は、ためにはなるがおいそれと積極的に入っていくのは難しい。逆に、独身でばりばり働いている人と、結婚後の暮らしの話をしても盛り上がりにくい。
そこに優劣はない。違うということだけ。学生時代なんて、みんな一列に並んでいた気がしたのに。違うことは孤独に繋がっている。避けられない孤独に。それがある意味大人になることだ。昔はスタートを切ったばかりで、歩幅が違ってもそんなに差はなかった。方向が違ってもあくまで1つの塊の中での話だった。
自分だけの荒野。サバイブするにも僕なりの方法を見つけ出すしかない。誰かの生き方を参考にできても、カンニングで簡単に次のステージに進むことはできない。
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日本酒を飲んだ後の戯言。