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後ろ向きな文章で前向きに。

日々辛いなと思っているものの、客観的にみるとむしろ幸せなような気もするし、心というのはとてもやっかいだ。

仕事の状況が程度はあれどもうここ1年くらい綱渡りが続いていて、それがどうにもこうにも僕を苦しめているのは間違いない。しかも個人的なものではなく、プロジェクト全体のことだから自分の手の及ばない場面も多く、やきもきするだけでどうしようもなくて余計に苦しい。今もまさに最大級のピンチが到来しているんだけど、ボールが自分の手にないから、こちらに投げられた時にすぐに投げ返せられるように準備しておくことしかできない。だからこのGWは休めてはいるものの、どこか落ち着かない。奥底で気持ちが忙しない。

いつまでもこのストレスに耐えながら働くことなんてできないなと思いつつも、新しい場所に飛び込む勇気なんてなく(ただ面倒なだけかもしれないが)、なんとなくやり過ごしながら今まできている。あとは、まだ何も成し遂げていないという気持ちも大きくて、今去ることは単なる逃げでしかないと思ってしまっていることも動けない要因だ。まあ本当にやばいと思ったら逃げるだろうけど。

プロジェクトに関わる人が多すぎて、それぞれの思惑があって、どうにかこうにか前に進めていく負担は想像以上だった。話しても話しても絡まる糸は解けなくて、「なんでこんなにうまくいかないのだろう?」と常に悩ましい状態。
仕事がそんな感じだから、元々人付き合いのあまりよくない側の人間なのに、プライベートでも人と関わるのが一層面倒になっている。原因を考えてこなかったけど、間違いなく仕事から始まる悪循環だな。

と、ここまで書いたことで、正体をはっきりできてよかった。ネガティブなことを書くのは、ネガティブになりたいからじゃない。むしろ逆。ポジティブに向かう糸口にしたい。何が原因で落ち込んでいるのかわからないと、ただ呆然と後ろ向きの思考にはまって、いつの間にかダークサイドに落ちるだけだから。

でもそろそろハッピーなことも書きたい。というより、ハッピーなこともたくさんあるから、それをなかったことにするのはもったいないよな。
ウジウジすんな、俺。

テイク3の文章。

Haneda, Tokyo
Haneda, Tokyo
Haneda, Tokyo
Haneda, Tokyo
Haneda, Tokyo
Haneda, Tokyo
Haneda, Tokyo
Haneda, Tokyo

ほとんど夢を見なくなった。あるいは、見た夢を覚えていることがなくなった。物思いに耽ることが少なくなった。もしくは、思考が浮遊することが減ったとも言える。
地続きの現実がひたすら続き、消灯するみたいにパッと意識がなくなり、気づいた時には夜は朝に変わっている。眠ることで唯一シーンが切り替わる。テイク1。起きる、移動する、働く、移動する、寝る。テイク2。起きる、移動する、働く、移動する、寝る。テイク3。起きる、移動する、働く、移動する、そしてこれを書いている。

モノレールが好きだ。視点が高いのがいい。窓が大きいのがいい。海を挟んで大都会東京を眺められるのがいい。ふっと、東京を客観的に見ることができる。普段は無数のアクティビティの1つでしかない自分が、その総体をぼんやりとでも意識できる。大丈夫、まだ根は張っていない。

飛行機は好きでも嫌いでもない。頭や耳の調子は悪くなるし、降りたら全身がだるい。その代わり、眠っている間に、本を読んでいる間に、遠くへ運んでくれる。仕事であれば、労働力を輸送してくれるとも言える。たまに墜落することを考える。真っ先に混乱する側か、冷静に誘導する側か、はたまた最後の余韻を楽しむ側か。イメージしようとしても、どうにもよくわからない。

空港が好きだ。特に国際空港が好きだ。旅立ち前の独特の顔が見れる。大きなスーツケースを引くビジネスマン、はしゃぐ子どもと叱る親、淡々と業務をこなすグランドアテンダント、少し疲れた様子の母国に戻る外国人。日常と非日常が入り混じっている。彼らの彼女らのストーリーを感じる。

どこよりも落ち着く自宅で、これを書いている。それではまた明日。

曇天模様の空の下。

Asagaya, Tokyo
Asagaya, Tokyo
Asagaya, Tokyo

余程極端な場合を除いて、幸不幸なんて、結局現在地をどの位置から見ているかにすぎない。でも渦中にいるときはそうは思えないことの方が圧倒的に多い。「あいつは自分より不幸だから幸せだ」なんてことには大抵はならない。
とは言え、追い詰められたとき、一呼吸入れて冒頭の考え方を持ち出すことで救われることもある。もちろん他人と比べるのではなくて、自分の中で相対化するという意味において。そのため、過去に一定量の絶望達を乗り越えておくと良い。つまり、未来の苦しみに備える適切な過酷さを前もって体験しておくということ。
なんだか本末転倒な気もするけど、ほんの一握りの幸運な人以外は歳を重ねると相応のしんどさに対面する可能性が高いと思っている。僕は子どもの頃から、なんとなく、大人って大変なんだろうなと思い描いていた。というより、子どもって楽だけど、大人になってもこのままいけるはずないだろうなという方が近いか。だから、部活やら一人暮らしやらバイトやら研究室やらで、なるべく厳しい局面を自ら選んだ側面は少なからずある。

未だに最も辛かったと感じているのは、大学1年の頃にやっていた中華居酒屋でのバイトだ。新人が4人入って、1週間で3人辞めちゃうくらいのバイト。通しなら14〜5時間くらい働いていたし、その間に冷えたまかないを5分で食べるとか。そして何より、店長がめちゃくちゃ怖かった。ミスをすると、アイスピックで割る前の大きな氷を投げられたり、思いっきり太腿に膝蹴りを入れられたり。あまりに辛くて、バイト後、牛丼屋で一人泣きながら食べたりしたこともあった。(ただの気持ち悪い奴。)
それが未だに人生で一番。(でも不思議なもので、記憶から無くしたいとは思わない。それなりに楽しい部分もあったし。)仕事を始めて5年が経ち、裁量とともに責任も増し、それなりに多忙な毎日で、矢面に立つ場面も増えて、どんどん削られていく中で、なんとかやっていけてるのは、そのバイトをはじめとした過去があってだと心の底から思っている。

いや普通の人ならそこまでしなくていいのかもしれない。でも特上の甘ちゃんで突き抜けて秀でるものがなかった自分が、学生を終えた後の長い人生を生き抜くためにそういうワクチンを打つ必要があった。

自分の人生からは逃げられない。

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