オラクル・ナイト / ポール・オースター
やはり文章のうまさを随所で感じさせる。著者なのか訳者(柴田元幸)なのかどちらの力量かわからないけど(多分両方)、唸るほどの言い回しが数カ所あった。今思うと付箋でも付けるべきだったのに、先に進むことを優先してしまった。
あとは入れ子(本編/主人公の執筆している小説/小説の中の主人公が編集者として持っている小説)の構造も好き。ダイレクトに結び付くわけではなくとも、どこか繋がっている。有耶無耶ながらもその繋がりを感じ取ったときに小説を読んでいるというカタルシスがある。
ストーリーは幻影の書に比べると随分スケールダウンしているけど、限られた空間で展開される物語がオースターの十八番な気もするし、水平は狭くても垂直の深さがある。
まあでも読んでで明るくなる類いの話ではない。出来事そのものも自分の中で消化しようとせず、そこに隠されたテーマが何かを探るような人は読むのに適しているかもしれない。ここで僕が感じたことを的確に記せればよいが、簡単に記せるならば小説である必要はない気もする。「愛は複雑だし、脳は飛躍する」みたいなことは感じた。
オースターを全ておさえているわけではないが、新作(文庫)が出れば購入するくらいは好んで読んでいる。
『武蔵野市立ひと・まち・情報 創造館 武蔵野プレイス』
公共建築ではシアトル中央図書館以来の衝撃かもしれない。そしてその衝撃は独創的な新しさによるものではない。
配置レベルでは、北側の広場によってまち(主に駅)との関係をつくっている。幼児(及びその親)が多く利用していて、規模的にも間延びせずちょうどいい。北側以外の三方は敷地の外側まで繋がっているような構成にはなっていないが、四周道路に囲まれており全てを表として扱うのは無理なので、東西南北面全てを同形式の外装にしていることを主として、うまく処理しているようにも思えた。
もっと心を動かされたのは内部空間。間仕切りなど丸みを帯びた形状を徹底して用いることによって柔らかさが出て、乳幼児〜中学生くらいを重視しているのではないかと想像できる。ここと比べると、シアトルが大人のための建築だとよくわかる。
間仕切りだけ取ってみても、壁に丸みのある開口部を設けることで屋内空間の分節を行っており、開かれすぎず閉じすぎず心地よい。
何より来館者の和やかな雰囲気がとても良かった。使い慣れた感じも出ていた。そういう意味では、気になる建物を訪れるのはある程度時間が経過してからの方がいいのかもしれない。
忘れないうちに書き留めておきたかったため思いついたことをざっと書いたが、色々勉強になりそうなのでもう少し整理したいところ。
先日、飯田橋のギンレイホールで『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』と『グランド・ブダペスト・ホテル』を立て続けに観た。(ギンレイホールは2本立ての所謂名画座で、初めて行ったんだけど雰囲気のあるとてもすてきな場所だった。)後者の方が誰に対してもおススメしやすいのだけど、心に引っかかった前者について書いてみる。
つらつら書く前に、『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』って邦題はあまりにもダサいので、以下『Inside Llewyn Davis』と記載することにする。
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