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2年前、その半年後、今。

震災から2年。ほとんど何もできなかったと言っていいと思う。特にこの1年は、何事もなかったまではいかないけども、思考時間すら確実に減ってきて、言及する人を見かける頻度も減少し、自分の中で相対的に小さくなってきている。
これまで当たり前だった暮らしに戻れない人はまだ多い。僕はその時、たまたま大井町という津波のやってこなかった場所にいただけだ。(「たまたま」という表現に違和感があるけど、気にしだすと何も書けなくなる気がするので、できる限り正直に書き綴るしかない。)

 
唐突だが、大学時代の友人の実家が農家であり、米が無くなってきた際、購入したいと友人にお願いをし、送っていただいている。買い始めた理由は単純で、市販のものよりおいしいからだ。(それも、とてもおいしい。)
その実家は石巻にある。震災で大きな被害を受けた場所の1つだ。友人の両親など近しい人の命は助かったとのことだが、親戚で亡くなった方もいるらしい。そしてまた、農地も被害を受けていた。震災以降、我が家の米は、市販のものに変わった。

約半年後、何気ないやりとりから新米を送ってもらえることとなった。そうして石巻から米を買う生活を再開した。詳しいことはわからないが、半年という短い期間で僕の手に米が渡っていることを鑑みると、被害は比較的小さかったのかもしれない。
久しぶりに米が届いたとき、とても嬉しかったことを覚えている。いや、嬉しいというより、安心に近かったような気もする。とにかく、そこにプラス方向の新しい息吹を感じた。

震災後していた募金と違って、この行為に「支援」の感覚はほとんどない。ただおいしいから買っているだけだ。
こんな風に、『おいしいから』、『好きだから』、『面白いから』、そんな普通の理由で、そして普通の感覚で、僕は被災してしまった土地(と、そこで営む方々)と早く付き合えるようになれればいいなと、そう思った。

 
震災について書くなら原発にも触れるべきだが、今日はこの辺で。1つ実感しているのは、なあなあでは絶対無くならないということ。それを踏まえなければならない。

 
追記。
ニュースでは、まだまだ支援の必要な状況が映し出されている。上に書いたことを取り消しはしないけど、当然、被災地が均一ではない。支援の意識を捨て去ってしまってはいけない。

腰を下ろす。

Sapporo, Hokkaido
Sapporo, Hokkaido
Sapporo, Hokkaido

こういうのが豊かさなんじゃないかと、常々感じる。そして、僕が仕事で目指す先を体現しているんじゃないかと思う。

今回の写真レイアウトは、完全にブルータスNO.750のラオスページの影響。

奇妙な事実の連なり。

トゥルー・ストーリーズ (新潮文庫)

トゥルー・ストーリーズ / ポール・オースター

僕にとっては、小説よりも読むのに苦労したエッセイ集。場面の切り替わりになかなか対応できなかった。
彼が経験した奇妙さが小説の中でも同じ感覚で入り込んでいることがわかった。どうして彼にこれほど変なことばかり起こるのだろうと考えてもわからない。きっとそういう宿命なのだろう。

オースターが船乗りだった一時期、(女の子が半裸で踊るような)酒場での強烈な体験を、強烈な表現で描いた箇所を紹介して終わることにする。

それは肉の畸形ショーだった。白い脂肪がぷるぷる弾む騎馬行進だった。カウンターのうしろのステージで一度に女の子四人が踊っている姿は、『白鯨』主役候補のオーディションという趣だった。女の子一人ひとりが一個の大陸だった。極小ビキニにくるまれた震えるラードの塊。それが四人ずつ次々に交代していく光景は、視覚に対する容赦なき襲撃だった。
(『その日暮らし』より)

ちょっとやりすぎだと思うけど、これが文学だとも思う。

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